2015年09月18日

20150918 ツアー五日目

ツアー五日目の今日は高知の木馬です。

昨日今日とうどん県こと香川県にてこれでもかと白い粉をこねて切って茹でたのを食いまわったりして、ホテルで落ち着く暇もないほどにハードスケジュールで過ごしてきました。


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倉敷アヴェニューではスコットの人柄に癒され、山田屋でツヤッツヤのうどんに咽び泣いた入りしております。


KOJI YONEYAMA TRIO JAPAN TOUR

9/18(金) 高知 木馬
 
9/19(土) 松山 モンク ゲスト:マリー大本(vo)
 
9/20(日) 広島 Jazz Club BIRD
 
9/21(月) 山口 Porsche
 
9/22(火) 東広島 Black and Tan ゲスト:なかにし隆(p)
 
9/23(水) ツアーファイナル
神戸 萬屋宗兵衛
 
米山紘史(gt) 権上康志(b) 定岡弘将(dr)
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2015年09月16日

20150916

昨日はKOJI YONEYAMA TRIO JAPAN TOURで豊中チェクスクラブでした。初日に引き続きこの日も満員御礼の大盛況でした。


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バンドとしてはまだまだ青く、アンサンブルというものも個人の能力と裁量で努力を伴いながらという感触がありますが、今日からはバンドで車移動ですので、真面目な話、しょうもない話、ここには書けないような話やら色々とする時間がありますので、そういった点でもバンドらしくなってくるのではないかと期待しています。

そうなんです。昨日まではライブして各々の場所に帰るという形でのツアーでしたが、今日からは寝食を共にするのであります。

8泊7日の旅。その旅立ちの朝は荷造りと家の掃除とに追われつつ集合時間になろうとしています。

一週間もゴミ出さんとほっといて大丈夫か?

ツアー終わってやっとの思いで帰宅したら、キッタナイおっさんが住み着いてないか?

水回りがカビだらけになってないか?

と、不安をあげれば切りがありませんが、ガスと戸締りだけは確実に忘れないようにしとけばおっさんと火事の心配はないかなぁと思っています。でも、隣家で起こった火災に関しては・・・。気が狂いそうだ!!!



なんてことは冗談ですが、荷物の量に権ちゃんに「定ちゃんツアーは引っ越しじゃないから!」とつっこまれないかとビビりつつ。神経の細い僕は、出来るかぎり日常生活のまんまのペースで動きたいと思うがあまりに、綿棒や爪切りや牛乳石鹸といった本当に要るのか?もしも要ったときも旅先で買っても屁でもないようなものまで持って行ってしまっています。んー、洗濯用洗剤はどうしてるのだろうか?容器を移し替えて持って行こうとしていることは内緒にしておこう。



今日からのツアー日程です。

9/16(水) 岡山 倉敷アベニュー ゲスト:Scott Chadwick(tp)
9/17(木) 香川 SO NICE
9/18(金) 高知 木馬
9/19(土) 松山 モンク ゲスト:マリー大本(vo)
9/20(日) 広島 Jazz Club BIRD
9/21(月) 山口 Porsche
9/22(火) 東広島 Black and Tan ゲスト:なかにし隆(p)
9/23(水) 神戸 萬屋宗兵衛
米山紘史(gt) 権上康志(b) 定岡弘将(dr)

神戸、大阪の皆さま、どうか最終日の萬屋宗兵衛にお越し下さい。

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2015年09月11日

20150911 スケッチを終えて

先日のsketchにお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。毎回来てくれる人がいるから僕も野津も前回よりも天昇堂の音響と関係する音に集中していけるんだなと思います。これからもどうぞ宜しくお願いします!

次回は11月1日の春日野道サウンドフェスタに野津が出演してくれることもあり、その前後にやりたいと思っています。

今回はいつも来てくれるKちゃんが「救急車通ってくれへんかなぁと思ったりしました」と言ってたのが印象的でした。会場内の僕と野津の音と残響だけに耳を澄ますだけではなく、頭の上を走る阪急や、山手幹線を走る車たちの音や虫の音やと、耳に入る音全てをsketchとして捉えて楽しんでくれてるんだなぁと思いました。

普通のライブではノイズのような椅子の軋みや、扉の開け閉めの音、咳払いやコップを置く音や何やと、あの環境で聴取可能な音をsketchの音として、それこそ音楽の成分として存在できるんだなと再確認しましたが、僕は聴取の問題を以前ほど重要視していないのも正直なところであります。

聴取可能な音、聴取不可能な音のその間。これはアンサンブルにおいてもそうなんですが、汽水域みたいな空間や関係性にこそ僕が聴きたい音楽、やりたい音楽があるのだろうということは分かってるんですが、その状況にいかに早く持ち込めるかというのが今の僕の興味、というか問題なんです。

楽曲というものを設定して、聴き手もそれを予習して来た状態でライブをやるとしますね。知ってる曲だけど、その場で演奏されるその楽曲は「再生」ではなく、また新しく生み出される楽曲として聴こえることもあるわけじゃないですか?それは歌詞が違うとか歌い回しが違うとかそんなんじゃなく、もっと本質的に新曲として聴く自分と、確認として聴く自分と、もっと何となく聴く自分と・・・みたいに一人の自分の中に無限の己を抱きつつ目の前の楽曲をひたすら浴びるということこそが上に書いた汽水域というものに近い感覚なのかなぁと今日は思います。

その点でsketchは方法論に重心を置いた即興演奏であるといえますが、僕と野津の二人の間でさえも共通認識している条件は何もありません。方法は情報ではない。それだけはマナーとしてsketchのときには特に気を付けています。

こうやって書けば書くほどに未体験の人の目には訳が分からないでしょう。是非一度足を運んでみて下さい。
posted by さだおか at 11:19| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月27日

20150827

あー夏が終わっちまったなぁ・・・。

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お盆以降、夏休みの残り日数を数えているだけで切なくて切なくて切なくて。今朝、登校する中学生たちが道端で挨拶する様子を見て、かけがえない夏の残像を感じてしまった。
posted by さだおか at 21:25| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月22日

20150822

五万までなら出す。

いきなりの書き出しに、「急に何を言い出すんや、さだやん!」とシャクレで葉っぱを噛んでボロボロの野球帽を被った読者たちが怪訝な表情だろうことを想像しつつ続けさせていただく。


なんなら、五万までなら出せる。

だから「どうした、さだやん。なんか辛いんか?」と読者全員が先輩目線で心配と興味のハーフ&ハーフな心情で、とりあえず怪訝そうな表情貼りつけて踏み込んだらおもっしょい話聞き出せんじゃねぇかと悪魔のように長い舌の先をピロピロと動かしているのを想像しつつ(卑屈やね)、無論、続けさせていただく。


やっぱ五万やな。うん、五万までしか出せんというのが本音やわ。


もういい加減しつこいことも承知で書いている。悪いな、こういう笑いの手法だ。というかこういう笑いが好きなのだ。で、結局何に五万まで、五万しか、五万以上は出せないと僕がほざいているのかだ。

今年で三十路といういい歳した男がソレに五万出せるか出せないかと悩むのは何か。僕が思うに、それは生活必需品等ではなく。嗜好品のたぐいでも、高級や一品といわれるものかと想像したり、案外無駄に純金の杓文字や、筆や万年筆のような違いの分かる男が好むような一品か、それかもう風俗しかないだろうと。いや、ぶっちゃけ風俗でしょ?男が五万までなら出すの出さんのと頭を抱えるのなんて。

恥ずかしくも誇らしい告白をすれば、今まで風俗に行ったことがない。行く理由は簡単に見出せるが、行かない理由はもっと簡単に見出せたからだ。その理由とは、俺が人見知りだからだ!どうして初対面の人と、特に女性となんてまともに話も出来ないような俺がどうして興奮しようか、勃起しようか、射精をしようか、いやせん。と高校古典でならった文法でもって気持ちを語らせていただいたが、ぶっちゃけそういう店が恐いってのと、たかだか性欲を収めるのに諭吉先輩が数人消えるのがもったいないと思うからだが・・・。

で、アサヒ芸能の風俗体験ページを毎週毎週穴が開くまで読み込んでいる俺だ。ある時には大久保かと溜め息を吐き、ある時には十三!?と変に興奮したりと、数枚の写真と、プレイの詳細と対応してくれた女性のバディの質感を日本語ここに極まれりという勢いで文字数ピッチリギチギチに書き込まれたエロ文学三歩手前のようなレポートに目もナニも熱くさせつつ、来るべき体験の日を夢見ているが、デリのヘルの多くが45分一万七千円前後が相場なのかと勉強したりしている俺が五万まで出すつってんだから、そこはもう人妻とか女子大生とかではなく、性職業のプロ中のプロであるAV女優(現役かどうかは不問)の、しかもその他大勢のように扱われるそれではないような女性にしっかりと一時間以上のサービスをしていただきたい!なんてことを思うが、どうなんでしょうね?

というか。

五万まで云々はそんなものが対象ではない。

実はテラスハウスの劇場版がDVD化されているのを最近知り、言わずもがな通常版ではなくディレクターズカット版をカートに入れたのだが、テレビ放送されていた分に関しては一切のソフト化がされていないのだ。そこにスタッフの強い意志を感じとっていたから、もしかしたら劇場版もソフト化はないかも・・・と読んでいたが故に一人でOSミントまで足を運んだわけだが、裏腹にソフト化されたことはそれはそれで大変うれしく思い、迷うことなく即購入となったわけである。

そう、そのテレビ版テラスハウスの完全版のBOXセットが出ている、もしくは出るのであれば、五万までなら出す、ということである。

心の師と思っている勝新太郎の座頭市のテレビシリーズのボックスが定価39800円にも全然手が出ないで数年来過ごしているという俺だ。五万といえば、今持ってるどのシンバルよりも高い。はっきりいって情けないが、高い。でもでも、俺は五万なら出すと言っているんだ!どうだ!フジテレビさん!テラスハウスのBOXセットを出しちゃくれまいか!?


この五万という値段設定は、客を選ぶね。ぶっちゃけ、覚悟なきゃ出せんよ。うん。
posted by さだおか at 22:23| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

20150819 夏の

七月の終わりの頃。今以上に太陽がギラギラと空気を煮えたぎらせていた頃の記憶。

連日の快晴と狂気的な気温も、淡路島の田舎を吹く風のおかげで多少の涼は感じつつも、それでもナナガツという音感は汗を垂らさせる。その頃の帰郷は母校の吹奏楽部の演奏会の段取りに走り回っており、連日学生たちと過ごしていた。

神戸での生活では考えられない時間に起き、日が暮れるまで頭も体もフル回転させていたので疲れはあったものの、覚せい剤的回復力の湯の力と家事全般をせんでも済んでいたことがイージューライダーと化したこの体を生かしてくれていた理由だろう。そして一日でクタクタになっては翌朝には再生した肉体で立ち向かう日々を一旦終え、神戸に戻った時の話。

14時過ぎに三宮に着いた。バスセンターから歩いて帰るか電車で帰るかと思案し、取りあえず駅までの人波は避けたいと思ったので東に向かって歩き出した。数日間家を空けるスケジュールだったので帰宅しても冷蔵庫には水以外は味噌と練りがらししかないことを思いだし、ちょうど通り道にいつも買っている卵屋さんがあり、とりあえず卵さえあればどうにかおかず問題は解消出来るなと思い、大きな鞄とリュックを背負い、ペラペラのTシャツと短パンに首にタオルを巻き、サングラスをかけた格好で店の入り口を開けた。

そもそも春日野道に越して来たのも野菜は八百屋で、魚は魚屋さんで買うような顔と顔を合わせた買い物がしたいと願ってのこともあり、スーパーのように特売やセールは頻繁にはないが、顔見知りになることでその街の一部に溶け込んでいけるような気分を味わえるのは先に書いたような店舗で買い物をする生活である。マニュアル接客もなく、あくまで他人事というレジ担当者の態度もないそのような店での買い物は、客の素質というか素養が常に問われつつも別れ際にお互いに「ありがとう」と交わす一瞬に緊張と緩和が収斂していく快感というか、そこの安堵感と日常性をスーパーに比べたら多少高かろうが買いに行く甲斐があると僕は思っている。

箭内道彦氏曰く、ものを買う、外食をする、とかくお金を使うということの行為の根底には応援する気持ちがある、ということを僕も思っている。

お気に入りの店があれば、次行くときには人を誘い、ブログやTwitterで世界に対して勧めてみたりする。そのお店が末永く続けられるように、パフォーマンスの質を落とさないように、応援する気持ちで通う。そういうもんである。

話は逸れたが、二週間に一度、10個パックとゆで卵か温泉卵を数個買いに行く。一緒に買うと合計が300円もいかないのに10円ほど割り引いてくれる。先日もLのパック一つとゆで卵を三つで305円のところを「じゃあ・・・」とおばさんの脳が計算を始めた瞬間に、「今日も引いてくれるんや嬉しいなぁ。今日は端数切って300円やろな」と僕も財布の中を探ったが、おばさんの口からは「・・・10円引いて295円です〜」とお金を出す方も出された方も決して幸せではない金額が発表されたのだった。一瞬戸惑った。でもそれがその店でのルールであり、互いの距離感でもあるのだ。

やっと話を戻すが、そのような気楽な格好で入り、例のようにパック一つとゆで卵を買い求め、おばさんの言う金額を出そうと財布を探っていたら、卵を袋に入れながらおばさんは急に話しかけてきた。


「日本人?」
「そうですよ!?」
「ハ、ハーフ?」
「ちゃうちゃう(笑)純血よ」
「ほんまねぇ!?」
「ははは。はいちょうどです。ありがとうございますー」
「ありがとございましたー」


と、数回の会話のラリーをその後家に着くまで何度も反芻しながら歩いた。あそこで玉子買っててよかった。

何気ない会話に痺れる。そういったことが起こるのも必然の場である。

posted by さだおか at 10:12| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

20150730 chara

charaの「タイムマシーン」という曲が切なくて切なくて、今更思い出したくもない、ともすれば悪夢のような、あの輝きしかなかった青臭くて淡い恋の記憶を刺激するのである。特にPVね。あれは、いかんですよ。表現と現実がクロスして、でも今はもう跡形もないような過去という現実。タイムラグに泣くのではない。甘い期待を抱くのでもない。ただただ、表現と現実の関係性に嫉妬するのである。

こういっちゃ悪いが、charaもUAは僕にとって似ているという印象である同じように似ているといえばMISIAとbirdも然り、それぞれが同じ引き出しに入ってる、そんな感じ。そして、charaとUAに関しては自作曲は聴く気にならないという点も似ている。

いや、何枚もアルバムを聴いてそう判断している。早計ではないんだ。ライブ盤も聴いてみたけど、全編を聴くべしと腰を据えたものの我慢できずにヒット曲までプッと飛ばして聴いて終わったりしている。ってそんなことが書きたくて書き始めたのではない。そうそう、タイムマシーンの話だ。

とはいえとやかく書く気はない。ただ一言。

「抱きしめあったり そして抱きしめあったり」という歌詞がある。この同じ言葉を言い換えも語尾も変えずに二回繰り返すのを聴く度に「天才かよ」と思っている。簡単なようで非常に大胆であり、大胆ゆえに困難な作詞テクニックだと思います。

安易に意味を物語りたいという衝動があると思うんだけど、それを繰り返すことによって聞き手の想像力に委ねるというのは意味や物語なんて所詮は小細工だったのかと思うほどにまっすぐに胸に届くんですよ。だから、天才かよと沁みるんですわ。

ということだけです。

今日は以上。

ご静聴ありがとうございました。
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2015年06月22日

20150622 I think so......

「3ミニッツパラダイス」という言葉をなにかで目にした。確か大瀧詠一さんに関する文章だと思うが、ポップスにしろロックにしろなんにしろ、その三分間は現実なんて完全に忘れるくらい夢中になる音楽がある。僕にとってはシュガーベイブの「素敵なメロディー」なんてまさにそれだ。間奏までの1分半でそれまで抱えていた暗くて重いものは吹き飛ぶのだ。きっとジャズにもそんな気分になれることがあるはずだ。ただ、アドリブという種目の大会になった瞬間にジャズを知らない人々の耳には終電で寝る酔っ払いの寝息と同じく、騒音まではいかないが自分には無関係ではあるがなんとなく気にもなるが理解はできない音という風になるのではないかと僕は思っている。

最近つくづくこのことを考えている。

最大の問題は時間ではなく、構成とトキメキだ。これからも自分のバンドでしっかりとアレンジする場合はテーマだけをやって終わり。そんなサイズでそこに集中していく即興演奏というもので作り込んでいくだろう。現に今また新たなアレンジを考えてノートを真っ黒にしているところだ。五線譜は要らない。主要なリズムとパターンを指定して、その他の楽器は僕の言語の限りを尽くしてイメージに近付いてもらう。

最近つくづくこのやり方が自分のやり方だと思えるようになった。

そんなことを考えている。






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posted by さだおか at 09:59| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

diary 0608~0614

梅雨。

梅のように雨が降るからでなく、雨のように梅の実が落ちるからでもなく、ちょろっと検索したところ、黴(カビ)の生えやすい時期の雨で「黴雨(バイウ)」という言葉がどうのこうのと中国から伝わったようである。

確かに黴雨、であるが、そこをそんなに風流にせんでもえぇんでないかいと思うのは野暮であろうか。梅、て。いつもより感じ倍の量の雨が降るから「倍雨」でもいいやろうに。


つゆ、というのも諸説あるようだが、梅の実が熟して潰れる様から「潰ゆ(ツユ)」というのや、単純に「露」からというのもある。

どうやら「梅」というのがこの初夏のキーワードのようであるということはわかるが、それ以上の思考に進もうという気はない。日々洗濯のタイミングと乾き具合、外出時の空模様に相当量の神経を使っているせいもあり、この時期はどうも気分が重い。



0608MON
最近映画見てないなとぼんやりと思う。最後に見たのは五月か四月かに見た「鈴木先生」か。あれはまぁ、一番良かったのはエンディングだったな。本編はドラマを経て、学生諸君の顔を見て嬉しいくらいで、特に、という感じ。
某レンタルショップの会員でなくなって一年。そろそろ聴きたいCDもでてきたので行くか。


0609TUE
前日の尾を引き、自分には趣味らしい趣味は中学生時分のバス釣り以来特に持ったことがないなぁと思う。日常を練習と研鑽に費やしているが、それすら趣味でもないような気もする。一体趣味とはなんなのか。休日に行きたいとこ集まりたいとこや人はない。むしろそんなもの持ちたくもない。趣味ってなんやね?


0610WED
雑穀米プレイにハマる。雑穀米にハマっているまけではない。あくまでもプレイとしてハマっているのだ。
先日友人がやずやの雑穀米の小袋を数袋差し入れてくれて、それを炊いてみたところ今まで目にしたことのない、それこそコモンカフェのネリさんくらいでしか見たことがない色合いの米が炊き上がっており、食ってみたところ全く抵抗なく、むしろいろんな食感があって面白い!と思い、自分でもネット通販で雑穀米ミックスを買ってみた。
実家がロハスや自然食等の気配すらなく、農家で米を作っていたくらいで白米というものに執着心すら感じるくらいに新米の季節には新米に興奮し、古米しかない場合には「(古米のくせに)食べれるな」とか言いながら白米を噛む食卓で育った。父親に関してはパンに一ミリの興味もなく、冷蔵庫にも本当になにも食べるものがないときに、お菓子食って空腹誤魔化すくらいならパンでも食うかというスタンスだった。そんな俺が雑穀米だ。てぇへんあ時代が来たもんだな。驚くなよ、高校生の頃の俺。


0611THU
TSUTAYA@三宮に行った。店舗が移ってから初めてレンタルのスペースに足を踏み入れた。さすがに某ゲオよりも品揃えがいい。しかし店内の装飾というか壁や床の感じに落ち着かせる色味や素材を使っていて、その押し付けがましい落ち着かせ具合に気持ち悪くない早々に帰宅。某ゲオの方がセフレとの関係のように身勝手な態度でも互いに問題ないといった雰囲気があり居心地はいいが、品揃えがなぁ・・・。
ゲオはヤリマンでTSUTAYAは女子高から女子大に付属でいったお嬢みたいな感じか。


0612FRI
淡路に帰郷。昼頃のバスが妙に混んでいた。賑わってるな。


0613SAT
母校の吹奏楽の演奏会の準備で来校。ここは変わらない。いろいろ思う29の初夏。高一なんて俺の真半分の年齢だ。
その後いつもの海辺へ。まだ特設ベンチは設けられてなかった。


0614SUN
神戸に戻る。阪神高速を降りたあたりからBPMを上げないと街に立てない感じがある。無論、淡路は逆。
婆さんの漬物で晩飯を食う。こんな美味い漬物も一生食べられないということがわかる年齢に自分がなったことに落ち込む。振り返り落ち込むよりも、前を見て落ち込んでしまう方が今となっては対応ができるが、十代やもっと若かった頃はこれからの不安に対して必要以上に不安がっていたが、もう不安は不安として認識しつつも、日常や生活の安定以外の要素は無視と反芻の間に置き忘れるという技術が身について、さして不安がりはしない。どうにでもなるし、どうにかなる。そんなもんだ。


自分のイージューライダーはどんなだろう?

そんなことを考えながら今日は眠る。
posted by さだおか at 02:25| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

20150603 3月24日を越えて

紅白歌合戦じゃねぇーんだから。

今日書く文章を何度か脳内で下書きをした。そして今日見出したオチ、まずはそのオチから始める。ここにオチるかどうかは両手の指先のみ知ることで、一応、数度の下書きを思いだしながら、思いだすことができないようなら箇条書きによって綴る。

今日の文章に関しては僕以外の人には僕の思考過程やそこに到る時系列等知る由もなく、またそれを語ることもせん故にいつも以上に「・・・」な内容になるかもしれないが、それは後々に各自脳内ミックスで楽しんでもらえたらと思います。



約一時間半、やろうと思えばなんだってできるくらいの持ち時間である。他の出演者は三十分の持ち時間その後移動だが、僕は楽器の移動やケツがあるから特別の計らいで演奏さしてもらっている。これは本当にありがたいです。自分の都合で、だが、結果的に三十分という時間では集中もそのライブの流れも捕えきれずに悶々とするだろうことにはならず、しっかりと集中して、奏者も観客も一体と化すまで演奏できる機会に恵まれている。ただそうなるためには全力で、全身全霊で流れを見極めねばならない。もちろん演奏しつつだ。次の曲も考えつつ、次のソリストも考えつつ、曲と全体の構成や流れを見つつ、その場その場でベストの判断をする。僕にとってそれがこのイベントの一番の楽しみでもあるのだ。正直、演奏云々の出来よりも、この判断の正確さの方が重要といってもいいくらいである。

三回のサウンドフェスタを経験して思うこと。

曲(曲目や作曲者)は結局どうでもいい、ということだ。

とかく知識や経験があればそこに一種の道や流れを見出し、そこで楽しんだり、自ずと意味を持たせようととしてしまうものだが、このイベントに関して僕は、普段の僕が見ると無責任なほどに曲の扱いは軽い。今回のセットリストもtad's delightやone note sambaとかジャズのスタンダードを取り扱っているが、そこにはおおむね意味はない。そしてその場に来てくれる人々のことも考えてはいない。

ここで誤解を持たれては困る。

例えば子供の考えや行動を大人が想定想像して設けるルールというものは、すべてではないにしろ、実際の子供たちからすれば「我々をなんだと思ってんだ?」と齟齬が生じ、乖離するものもあり、それは過小評価、時に過大評価からくる括りを設けられてしまう。大人の想像力なんかで当の子供たちの日常に手を伸ばさないほうがましだろうとも思うし、その逆も同じくらい思っている。

それと同様に、ジャズに関わる側が想定する観客が聴きたいだろう曲と、実際の観客が聴きたい曲というものには大きな溝や食い違いがあることを多くの演奏者は知りながらも、それぞれの想定する観客、特にジャズに馴染みのない人々に対しては創作精神を元にに手を伸ばす楽曲とはまったく毛色のちがうものを持ってきたりする。そうすべてを残念だと思わないが、やはり、奏者は観客を舐めているんじゃなかろうか?と思うことも・・・あるわけだ。


ここで話を変える。


one note sambaをやる前のMCで「次はボサノバというリズムの・・・」みたいなことを僕が言ったときに観客の女性が「あ、ステキ」と言ったのを僕は聞き逃さなかった。その瞬間は僕がもっとも危惧し、嫌悪する瞬間でもあったから記憶にこべりついてしょうがなかった。今もあの日のことを思いだそうとするときはまずあの瞬間が浮かんでくるので、それをまずどけてから次なる記憶を引っ張り出してくるという面倒な状態が僕の中で起こっている。つまり、それくらい嫌だったってことだ。

なにもあの女性を非難しようとか、そういう思想の人間を批判しようとしているわけではない。僕だってのぞみ青果でレゲエがかかっていればラム呑みたいな〜と思うし、焼肉屋に行けば映画の「たんぽぽ」で山崎努と宮本信子が美味そうな焼肉食いながら日本酒の一升瓶を冷で呑んでるのを見て以来、一杯目のビールの以降は冷の日本酒だ。イメージすることさせられることは悪いことではないが、僕が危惧する視点というのは「ボサノバよ、日本の片隅の街じゃそんな心証でいいのかい?」ということである。それはジャズについても然り。某魚民では始終5、60年代のジャズばかりをBGMに流しているが、そこで食傷される歴史をジャズを愛するものであれば一度でも感じたほどである。とはいえ、僕も呑んで酔っぱらってしまえば流れてくる曲をブラインドテストとかして楽しんだりしてるが・・・。


そしてここでもう一回話を変える。


某週刊誌にタモリに関してジャズ云々という記事があった。内容は省くが、その記事の最後に、某ジャズ評論家に記者がジャズに興味持った人々におすすめの曲は?と問い、その答えが、take five、fly me to the moon、take the A trainで、それらに関する紹介文も(一般的に)分かりやすいことを書いていた。ここでまた僕は思うわけだ。

こんな曲を勧めるから誰もジャズをある時代のアメリカの文化であり、その人々一人一人の情熱と執念の自由な音楽だということが全く伝わらないんだ!
と。

ま、そんなことは伝わらずとも、まずその三曲ってかっこよくなくないですか?AKBとかエグザイルとか、その他無限に高音圧の流行歌があり、その楽曲たちと対等に現代という土俵でまわしを取り合えますか?僕は無理だと思います。正直、あくまでたとえですがゴールデンボンバーの「女々しくて」の方がなんぼか聴き易いし、わかりやすくかっこいいでしょ。ジャズなんて曲を知らなきゃどこまでが曲でどこからがアドリブか分かんないし、そのアドリブも演奏者がどれだけ努力して見に付けたものか想像できないくらいに完全に昇華されたものとして聴こえてくるわけで、僕が思うに、現在のジャズが取り組みをする土俵はよくてクラッシックと同じなもんだと思いますよ。

僕はジャズの馴染みのない人や環境に於いて、奏者がチョイスすべき楽曲や内容は、曲なんて好きなもんでいいからとにかく自身がその場でベストを尽くすという以外にないと思っています。観てる人で曲云々で楽しんでる人っていうのは日常的にジャズに触れてるでしょうから、そういう人は勝手に勝手に楽しんでもらうとして、奏者は10人だろうが100人だろうが全体をグワングワン揺らさなきゃしょうがない!ってことで、最後は人間としてどれだけ誠実か、どれだけ夢中か、どれだけ一生懸命かということだけなんじゃないでしょうか?


僕の爺さん婆さんは週に二回カラオケ喫茶に行って仲間たちと歌う人たちなんですが、その人らっていうのは昭和歌謡や演歌を歌ってるんだと思うんですよ。で、婆さんは毎日のように有線放送をチェックして新曲とかどうのこうのいってますよ。で、オチにここから加速しますが、爺さん婆さんが紅白を見てる時に演歌歌手の方が出て歌うたびに「なぜ新曲を歌わないんだ?」「なぜ今年出した歌を歌わないんだ!」と不満を口にしているのを毎年見ています。

石川さゆりは天城越えと津軽海峡だけじゃないはずです。しかし、紅白ではそれくらいしか聴いたことがないという記憶しかない。そしてそれは他の歌手にしても然り・・・。


もしハービー・ハンコックが紅白に出たら、カンタロープか処女航海かロックイットあたりをCDのまんまやるようにNHKは注文するかもしれませんよね。テレビだし、尺が分からんような即興の要素は極力排除したいし、誰もが一聴したような曲や、一聴して「じゃずやなぁ」と思うようなことをやって欲しいと乞うと思いますね。


週刊誌で勧めるんだったらそんなありきたりな曲なんて選ばんと、グラスパーとかアビシャイとかのオリジナルを勧めりゃいいじゃんと思うんですけどね。だってジャズは紅白歌合戦じゃねーんだし。


聴衆を育てる前にまずはお前がフルチンフルマンで戦ってるかどうか、そこかなぁと24日のことを思いだす度に思っています。
posted by さだおか at 10:59| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

20150528−2 VOYAGE vol.2発刊!

東播ジャズ倶楽部発行のフリーマガジン 「VOYAGE」第2号が5/17日に刊行されました!
創刊号に引き続き今回も筆を取らせていただきました。配置先等詳細は、VOYAGE facebookページ https://www.facebook.com/pages/VOYAGE/297657697065838 をご覧ください。

東播ジャズ倶楽部HP http://t-jazz.com/も要チェック!


僕の記事「音楽なんて聴くまでもない」の内容はハレとケに関して想像を膨らませ、灰野敬二で捻じ伏せ3カウント取ったという風ないつものごとく読み様によっては難解なことを書きましたが、ようは『だから音楽なんて聴くまでもない』という結びを想定しつつ論理を組み立ててはぶっ壊し、その破片をまた集めてお城を作るような文章になっています。

いつもそうですが、推敲に二カ月、校正には数週間と最終校正ギリギリまで句読点一つや、単語一つ漢字にするか平仮名にするか悩みに悩んで書き上げ、非常に納得のいく文章としてVOYAGEの一部になったなと手元に届いた雑誌を読んで思いました。

申し訳ないですが、この雑誌は面白いです。ライブ情報一切ありませんが、読み物として情報量は豊富で、これに関わる人が皆それぞれにジャズに対する想いを持って何かを伝えたいという気持ちが溢れている内容になっています。でもそれだけじゃ暑苦しいんですが、デザインを担当して下さっているハットグラフィコデザインの濱さんのおかげで、シュッとスタイリッシュになっているんですねぇ。やはり何といってもこれが特徴だと思いますね。ジャズ喫茶で何年も何回も繰り返し繰り返し語られてきているような、こってりとしたジャズへの情熱と愛情で綴られた数々の文章を濱さんが洗練したデザインで構築する。全国の大工(この場合はデェクと発音するのがよろし)の棟梁達が集まってピースやハイライトを吸いながら安い焼酎を生で呑みながら話している様子をデザインすることで青山あたりのオープンカフェでエスプレッソ飲みながら何か男前な会話をしているように見えるようになってるとでも言うんでしょうか。

雑誌自体もA4でフルカラーということで見やすさを追求した形になっています。是非下の写真の表紙を見たら手に取って読んでください!

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完成し、現在は配置に協力いただける店頭や店舗様に順次配置していってます。この作業も一段落した辺りには編集長を「なんかイベントせな〜!」とケツを叩いて一休みさせることなく次なる展開をとアイデアをどんどんぶつけていくつもりです。皆さん、応援宜しくお願い致します。協賛や広告も随時受け付けているそうなので、そちらの方でも是非ご協力宜しくお願い致します!

作り手だけが作ってるわけではありません。こういう雑誌こそ作り手読み手書き手関係なく、みんなで育てていくもんだと、昨年の創刊からの様子を見ていて思っています。協賛広告という形だけでなく、お手紙やメールをもらえるだけで作り甲斐があったなと安堵するものです。何卒宜しくお願い致します。

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2015年05月21日

20150521

春日野道に越してきて早半年。近所に商店街と大安亭市場があるので、買い物の中心はそちらということになる。無論スーパーも行くが、やはり肉は肉屋で、魚は魚屋で買う方がいい。それは味や鮮度だけでなく、土地に通う血を絶やさぬようという点もあり、個人商店があってこそ町の風景だと思うからだ。

最近になって分かったことが一つある。

自転車に乗る老人はババアよりもジジイの方が危ういということ。

午前中に買い物に行く人は多い。特に老人が多い。スーパーの駐輪場なんて人がわんさかいるが俊敏な動きを取れるものは数少なく、危険極まりない。かもしれない運転が安全への第一歩ということは自動車運転免許証を取る際に何度も何度も耳にしたが、くだんの場所ではかもしれない運転ですら危険である。さらに商店街は道幅も広く車は走らない為まだしも、市場周辺は戦場といった風情すら時間帯によっては漂っている。かもしれないかもしれないけどかもしれないだけじゃないかもしれない運転。それくらいでちょうどいい。

ババアは多少自分の年齢や体力等の低下に対し従順に行動をとるがジジイはそうではない。老化というか幼化しているのではないか?と思えるくらいに幼児のそれと近しい動きと判断能力でもって往来に立っている。その点ではジジイの方が危なっかしいと思うが、ババアは体力面での不備を装備で以って補完し、機動力の低い押し車のようなものを押していたり、自分の体の幅の倍ほどもあるような荷台を曳いていたりして、これはこれで危なっかしいのである(ネットで「老人 押し車 荷物」と検索すると、あれはシルバーカーという名前がついてることを知った。二万円前後だそうだ。この必要のない知識をまた一つ脳細胞に詰め込んで俺は何をしようというのか。)。

六甲に住んでいた時は某スーパーの店内のエスカレーターの乗り場付近に暗黙のシルバーカー置き場があり、繁忙時には何台ものそれが並んでいて、その光景は少し見ものだったりしたものだった。誰も自分のシルバーカーに名前も書いとらんのにちゃんと自分のを持って帰っていた。僕からすればビニール傘のようにどれも同じに見えるのだが・・・。

昨日もスーパーでレジに並んでいた。そのレジは少し特殊で、混雑時のみ開くレジが連結しているという二台体制のレジで、それに並ぶ人たちのさらなる混雑を避けるために奥の混雑時のみのレジは一人の客をさばき次第次の客をわざわざ呼ぶというシステムになっているのだが、そのルールと仕組みをよく分かっとらんのか何も分かっとらんのかもしれんジジイが列に並ばずに極々自然にそのレジの空白に入り込んだのである。僕のすぐ後ろのおっさんは軽く舌打ちをしていたが、ここは春日野道であり、春日野道に住んでいる以上そんな些末なことに心の安定を奪われるなんてアホらしいので本当は次の番だった僕は見て見ぬふりをし、次の瞬間には忘れたのだった。気にしない。それがこの殺伐をファンデーションに成り立つ町では一番の身の振り方だと思うからだ。

スーパーの店内でもジジイの方が危ない。幼稚園児の次に危ない。

それを胸に、春日野道で僕は日々暮らしていく。

あと登下校の小学生の特に男子。あいつらの視野は5センチ幅くらいしかなく、自分の先30センチの世界も見れていない。道路であれ歩道であれ、そこはやつらの遊び場と化している。故に非常に危険である。横断歩道で「おはよう」と声掛けする先生は一体何を見守っているのか。体裁だけではないのか?変態から守っているだけではないのか?とすら思う昨今である。





これはなんでなのだろうというのはこれからの日々の考察で明かしていきたいが、

posted by さだおか at 13:29| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

20150518

昨日の神戸ジャズウォークにお越し頂いた皆様、会場で言葉を交わした皆様、久しぶりにお会いした姫路のおでん屋の何某氏、焼酎の差し入れを下さった淡路の吹奏楽団の何某氏、本当にありがとうございました!

昨日の今日で早速ですが今週末は現在住んでいる町でイベントです!

両日共に春日野道商店街内でのイベントです!

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23日(土)春日野道ふれあいカーニバル
定岡弘将DRUMS ダンディー保(尺八) のぞみマスターSAX
出演は11時から30分間です。
場所は春日野道商店街のグリルなかがわ前の特設ステージです。
もちろん無料。差し入れ大歓迎。投げ銭も大歓迎。

24日(日)春日野道ふれあいサウンドフェスタ 
出演はのぞみ青果にて、13時から約一時間半
定岡弘将Ds 中野誠也Tp 高井晶子As 井上歩Ba
チップ制


沢山の方に見に来てほしいイベントです。音楽関係者がほぼいない環境で0から商店街の人々が作っているイベントです。是非お越し下さい。


ミックスダウンも人知れず静かに進行中!もしかしたら現在の状況を知ってるのは僕の部屋の両隣の住人だけかもしれない。たまに深夜まで作業をしてるので、音量に関してはビビりながらもバランス等の問題もあるので一般家庭のオーディオレベルを余裕に越した音量で鳴らしてますからね。

Macにも最近ようやく慣れてきましたが、どうもマウスを使う手と方が変に疲れる!ということでマウスパッドを導入したら、その問題は一気になくなったという不思議。このマウスと机の素材のせいで姿勢が崩れてたんだなぁと反省しました。

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2015年05月17日

20150517 昨日考えたこと。

今一番注目してるのは荒川修作さんという美術家です。「美術家」としたのはあくまでも「ウィキペディアより」と注意書きした上で、あえてそれを書かずにいただけのこと。まだまだこの人の作品や著作には触れていませんが、町田康目的で呼んだ脳科学者の茂木さんとの対談本では、他の誰とよりも荒川さんとのが面白かったので、早速図書館で二冊ほど借りて来て読み始めようとしているところです。


上の対談でも、美術家という印象は受けず、科学者か哲学者がたまたま頼まれたから空間に表現してみました、みたいな感じに受け取れるようなことばかりを言っていたし、それよりも何よりも体ということに非常に執着さらている感じだった。

ここでの体というのは肉体や身体といった意味ではなく、人類、または生物が0から生じた起点から連綿と続く血脈や進化過程を科学と哲学とその他面倒臭そうなものを通して視覚化可能なナニかを指すんだろうなということが今の僕の理解程度でしたが、これからもっとこの人のことを知りたいと強い衝動が起こったのでした。そしてそんな衝動自体が久し振りに起こったことだったので、対談を読みながら興奮し、鳥肌を立てたほどでした。


それとは別に昨日、自分なりに永遠の生ということを考えた。


永遠=不老不死ではなく、永劫の彼方までの地続きの肉体と精神と環境というほうが僕には想像しやすい。

もし人が永遠に生きながらえるとしたら。

その時に問題なのは、今でいう寿命のようなものがあり、それ以上の年齢には精神的にも肉体的にもいきませんよという天井のようなものがあり、たとえば15歳、たとえば44歳、たとえば99歳と人によって永遠モードに入る年齢が違うということなのか、それとも190歳、5万歳、3億歳と皆平等な時の流れと年齢を重ねることで死なずに生き続けるということなのか。それが問題である。どちらを前提条件の仮定として物語を想像するかによって違う物語になりそうだからだ。

とはいえ現時点ではそこまで細かく考えるではなく、あくまでも、もし人が永遠に生きるとしたらどうなっちゃうの?あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう?くらいのノリで考えてみたいのだ。


結論はすぐに出た。

人間が永遠に生きるとしたらもう何もしなくなると思うのである。


ペンギン村。そう、んちゃ!と拶するあのアラレちゃんの住む村のと、想像上の天国と地獄を混ぜたような世界になると思う。端から端まで見える村と化す。そしてその場に息づく人々も内心などなく、精神と行動が直結し、その欲のままに、食いたければ食い、眠ければ目を瞑り、性器を擦り合わせたければどうぞご自由にということになるだろう。

が、永遠という条件下で我々人間の欲望などというものはまず消失するのだろうとも思う。なんたって永遠だ。その環境はいつまでも続く。地続きに続く。人の顔ぶれの変化もない。一日一日の変化も伴わない。ただ生きる。ただただ生き続けるということはまず他人と自分との境界線をあいまいにすると思う。自分がいて他人がいる、その相違やそれぞれの価値観や経験を語り合い、理解し合おうとするが故に関係性は築かれ色味を変化させる。もちろん恋愛関係もそう。他人と自分が違うということで困らなければ、そこで立ち回る必要もなく、ただぼんやりと毎日同じ行動を繰り返すだけになるだろうと思う。陽が昇れば行動し始め、陽が落ちれば眠りにつく。ペンギン村の人々はそれをひたすら繰り返すだけのように。


では新しく生まれ来る生命の存在をどうするかだ。永遠に生き続けるということはまずは数は減ることがないということになる。とはいえ人間は永遠の元に生を貫いたとしても、その他の環境が有限では、自ずと破滅するだろう。この場合の破滅というの、現在の生活環境のような生活の破滅という意味であり、生の破滅ではない。となると、他の人間が生きることに必要な環境も無限性(永遠)となるか、あくまでも現状(有限)と変わらないとすれば、人間の生きるというシステムに変化が必要になるだろう。

そう、まずは食わないこともそうだが、そういった生理活動の一切が不要となる。何も求めない。何も欲さない。それこそ芥川の小説ではあるまいが、自分たち以外の有限たる生命の運命を池のほとりから観察しつつ弄ぶほどに退屈で生産性のない、ただただ繰り返し日々をすごすだけのものとなる。

ということは逆説的に考えれば、我々は死という絶対条件があるが故に欲を燃やし、次なる生命を作るべく立ち回り、バリバリに働き、身も心も疲弊しきったら一旦休んででもまた走り回り、自分と他人との違いに思い悩み苦しみ、時に他の人間を傷つけたりもするのだろうということになる。


高校時代からなんとなく考えていたこと。「生きることは死ぬこと」という思想?哲学?言葉遊び?に対して、今やっと一歩進んだ自分なりの根拠みたいなものが芽生えつつあるのだということを感じている。

生きることは死ぬことであるが、逆に死ぬことは生きることなのかというとそれは安易に首を縦に振るわけにもいかない。でもそれは「死」という言葉が孕む暗闇に怯えているだけのような気もする。想像を超えた暗闇が死だ。それを少しでも理解したいという欲求が宗教を生み、哲学を組み上げていったのだろうと思う。

文章化するには不備があり、稚拙な論理ではあるが、まぁ書いておこうと思ったものは仕方ない。
posted by さだおか at 09:38| 兵庫 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

20150509 

リハしてきました。

ダンディー氏は前回のリハでした会話と全く同じ内容の会話を僕たちにされてましたが、我々は台本のト書きよろしく、しかるべきタイミングでリアクションを取り、話を転がしていくだけです。初めて聞いたかのように。まさにライクアローリングストーン。

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2時間みっちりとゆるゆるの間、まさにゆっちるな感じでリハは行われました。尺八とサックスとドラム。しかも曲は歌謡曲。演歌あり、昭和歌謡あり、松田聖子ありの計七曲。こういう編成で、しかもバックアップするという条件下が一番燃えますね。スウィングするとかしなきゃとか意味がないとかいってう時は心の中で中指立てながらやってますから。ってそれは言い過ぎですが、非常に楽しく、また集中力を要する時間で充実しております。

5月23日(土)春日野道ふれあいカーニバル
定岡弘将DRUMS ダンディー保(尺八) のぞみマスターSAX
出演は11時から30分間です。
場所は春日野道商店街のグリルなかがわ前の特設ステージです。
もちろん無料。差し入れ大歓迎。投げ銭も大歓迎。


翌日のふれあいサウンドフェスタと併せて、是非お越し頂きたいイベントです。
posted by さだおか at 16:34| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月07日

DIARY 0427〜0503

現在朝5時半。寝ずにではなく、寝て起きてのこの時間。そう。今日は吹田メイシアターでジャズのコンサートに出演するんですが、例年のこのイベント、入り時間が早いのです。暴力的に早い。初期の北野映画の暴力ばりに早い。早すぎてもう実際に痛いくらいです。そんな痛みジンジンの朝にダイアリーを書いて出発までの時間の帳尻を合わそうと思っているわけです。だって、寝過ごすぞ!ファッキンジャップこの野郎!と緊張感ハンパないですからね。6時半起きの予定が4時半に目が覚めましたよ・・・。

とまで書いて一旦終了し、その二日後また改めて書いている。いまだに火曜日の疲れはとれず癒えずにいる。

0427MON
起きた時からモスバーガーが食いたいと思い、昼食どきに三宮のモスへ。案の定込んでいたが、そこはファストフードということで人の流れは順調で、五分も待っていると自分の番となった。注文は「持ち帰りで、モス野菜のポテトSセット、ドリンクはジンジャエールで」とスマートに済まし、番号札10番を与えられて邪魔にならないような場所で待つこととなった。
モスですからね、多少時間はかかるだろうと踏んで持参した本をペラペラと集中もせずに目だけ通してフムフムいって読んでたんですが、注文までに並んでいた時に自分の前後の人は何となく覚えていたので、前の人の番号が呼ばれたあたりで次は自分やなと本をしまって受け取って出る動きのシミュレーションをしていました。ここまで大体五、六分とかそんなくらい待ってました。あぁモスも昼時はスピード感あるんやなぁとか思ってました。で、次は俺かと思ってたら、自分の次に注文した人に商品が届いたわけですよ。まぁでも、あの人は店内で食事するし、テリヤキバーガーの単品やし、と多少の前後はあるもんだと思って番号札をクルクル回して抑えた動きの消化と暇をつぶしたわけです。で、で、で。僕がそうやって商品を待ってる間にもお客さんはどんどん入ってきては席に着いたり自分と同じく番号札を手に呆然と待っていたりしてるんですが、そこは昼時のモスさんですから、待ってる人の数っていうのは一定量であり、常に順調に商品が供給されて、需要と供給のバランスが美しい状態になっていたんですよ、僕を除いて。
僕の後から入ってくる人の方が商品を手に早く店を出るわけです。で、二十分くらい経ったときに僕は思うわけです、「モスさんはこの状況をどうおいしく料理してくれるだろう?」と。こういう状況でも僕は怒りはしません。怒って解消するストレスよりも、それを黙って我慢して我慢して、自然に笑に落ち着く方向に身を持って行くのが常ですから。
そして持ち帰りのお客さんも僕以外消え、店内で食事する分の商品も出揃い、レジの中は一段落と文字が浮かび上がるほどに一段落していた時に気付くわけです。「あれ?あの男の人、ずっと待ってない?」と。店員の顔色が変わるのを見届けてから声をかけました。「注文通ってません?」と店内の客の数人にはわざと聞こえるように通る声で。「わーわー猿や!猿がおった!」くらいのリアクションでこちらに駆け寄り謝罪しつつレシートを僕から受け取り調理開始。ここからは早かった。驚くくらい早かった。時間は一分強って感じですかね。あっという間に商品が出てきて受け取り、店を出る時には店員全員が謝る声を背中で受け止めつつ、返してもらったレシートに記載されている注文したはずの時間を確認し、三十分か・・・とだけ呟きつつ帰路についたのでした。
モスさん、美味しかったですよ。いろいろと。これからもバージョン違いでどんどん話を膨らましていきたいと思います。

0428TUE
久し振りのベイズン。その後のぞみへ。楽しいから酔ってんだか、酔ってるから楽しんだか分からなくなる。ま、おおむね良好。ベイズンは忙しかった。みなさん、ありがとうございます。

0429WED
ベーシストの泉君と大阪で飲み会。
まずは「串カツいこうや」と泉君の一声で梅田新食堂街の松葉総本店で瓶ビールと串カツ少々。三十分程で河岸を変えるべと東通り商店街の方へ。ついでに路上呑み様にハードリカーを購入。泉君おすすめの天満(つってもあれは端か。扇町の交差点近くやし。)の立ち飲み屋に。そこがもう素晴らしく素晴らしいお店でした。また行きたい。願わくは明日も明後日も行きたい。毎日行きたい。そんな居酒屋。天満方面で呑む時はマストでゴーですな。
その後真っ暗な公園でレゲエのおじさんとグルーブしつつハードリカーで飛ぶ。泉君が近所のスーパーに買い出しに行った隙に片付けて消えたら面白いかなと、芝浜みたいに「夢になるといけねぇし」となるかなと思いサッと消えた。携帯の電源も切り、阪急電車に飛び乗った。翌日ギリギリの状態で電源を点けたら泉君から心配のメールや留守電がパンパンに入っていて少し反省。とはいえおおむね楽しい一日だった。

0430THU
前日の余韻で二日酔いと足の一部が痛みが。きっとどこかでこけたんだろう。
二日酔いにはカリウムがいいと聞いていたので、あらかじめ買っておいたココナッツのジュースを一ℓ呑んで回復。なんかの16倍のカリウムが入ってるとかどうとか。すげーな。

0501FRI
図書館へ。蔵書点検で普段より一週間長く借りれると思ってMax10冊借りるも、日程が間違っていて焦る。二週間で10冊も読めるのか読めないのか・・・。松尾スズキ著「宗教が往く」、面白いぞ。

0502SAT
天満のスタジオで5月24日のリハーサル。詳細は前回の記事を参照。
皆さん、見に来てね。
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0503SUN
ひたすら借りた本を読んでいる。身体、科学、演劇、そういうことにすごく興味が湧いている。


明日8日(金)はラディカルな関係@ギャラリー神戸天昇堂です。是非お越し下さい。
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posted by さだおか at 09:18| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月03日

20150503 

昨日は今月24日(日)に春日野道商店街で開催される、春日野道ふれあいサウンドフェスタに出演するバンドでのリハーサルをしてきました。


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タジオが天満ということで、昨日の晴れっぷりに「嗚呼生ビール」「嗚呼冷酒」と欲望にかき立てられつつ天満の飲み屋街をくぐり抜けてスタジオに着きました。もちろんシラフで集中の三時間。

そしてリハ後はまたも天満の甘い誘惑を横目にサッと環状線に乗り込み、新快速で三宮へ。VOYAGEというジャズのフリーペーパーの第二号が発刊直前ということで、自分の原稿の最終チェックとその他の打ち合わせ。遅くても今月末までには出るそうです!編集長、ラストスパート頑張れ!

で、諸々あり、空きっ腹に缶ビールを入れてフラフラになりつつ徒歩で帰宅。昼間の天満の残像を振り払うべくのぞみ青果へ。前回のイベント時に来られていたナイスガイとその奥様と友人たちと軽くセッションし帰宅、という密度があるんだかないんだかよく分からん一日を過ごしたのです。

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そしてイベントに関して。

今回も13時半から15時前までのぞみ青果にて出さしてもらうんですが、今回は特に最初の40分くらいは普段のライブセットのようにしようと思い、そういう風にセットリストを組んでみました。その後は飛び入り歓迎、いや大歓迎だし、必殺のぞみマスターのサックスもあるとかないとか。とにかく、今回は気合いを今まで以上に入れていますので是非お越し頂きたいと思います。

24日(日)春日野道ふれあいサウンドフェスタ 
出演はのぞみ青果にて、13時から約一時間半
定岡弘将Ds 中野誠也Tp 高井晶子As 井上歩Ba
チップ制

春日野道1.jpg
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そしてその前日はコチラ!
23日(土)春日野道ふれあいカーニバル
定岡弘将DRUMS ダンディー保(尺八) のぞみマスターSAX

出演は11時から30分間です。
場所は上に貼りつけてあるチラシをご覧ください。

posted by さだおか at 12:50| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

20150424 KYOTO takutaku

その日は朝早くからミックス作業を始めた。時間を逆算してのこともあったが、ある本で早朝の方が電気が澄んでいて音がいいという風なことが書かれていたことも一因だ。だがしかし、自宅でのDAWに電力が電圧がと騒ぐようなことではなかったなたと思った。とはいえ日中、夜、深夜よりも午前中のほうが作業に集中できるのは確かで、午前中は頭が冴えているというのよく言われることだが、その日もズンズン作業は進んだ。

それでも完パケ入稿までがミックスエンジニアとしての仕事のすべてだとすれば、現時点では0.03%くらいの進行状況だろうか。果てしないぜ・・・。富士山登るつってんのにまだ新大阪で上りの新幹線を待ってるくらいだろうか。いや、その切符を緑の窓口で買ってるくらいなもんか・・・。いよいよ果てしないぜ。

少しだけ現在の状況を情報漏えいしますと、二枚分のCDの制作を予定しているわけだが、それとは別に、原価どうのこうので売価が最低でも3000円ずつにはなりそうだったから手売りの際に二枚同時購入特典みたいなのも付けないと、と録音直前に思い、ジャズスタンダードも四曲録音したんです。で、まずはその四曲でミックス作業に慣れるために、練習というくらいの気持ちで作業を行っています。4月25日現在では、一曲がほぼほぼ完成していて、この調子で残りの三曲も進めていき、その音源を元に各人に各楽器の音色に関しての是非を問おうかと思っています。それで是となればあとはスイスイと・・・いくわけはないんですがー(笑)

で、話を戻します。

京都で昼飯を食えばいいと思って、早朝から数時間ミックスを進め、昼前には区切りをつけて身支度を整え、阪急電車で東に向かった。
昨年の晩秋以来の京都である。これまで何度もこの河原町行きの特急に乗ってるが、小一時間揺られるのはさすがに慣れない。まったく慣れない。慣れない慣れないと本を読んだり、目を瞑ったり、車中の人に目を向けたり、慣れん慣れんと悶々としている内に烏丸に着いたので電車を降りた。時間に余裕があったのでぶらぶらしてみようと思ったものの、駅のある地下から地上に出た途端に方位を失った。失いつつも時間があるということで、なんかこっち見たことある、っていうていどの判断で足を進めると、見たこともない町名の土地に迷い込んでいた。と、このペースで書き進めていくと本題の磔磔での感想が述べられんので、この際いろいろと割愛!ただ、昼飯は結局藤ジャズの下にある天一ですませた。天一は各店舗ごとにスタイルや風景が違っていて、この新京極店(←合ってんのか?)は絵に描いたような町の食堂にいそうな化粧がうるさい超熟女のおばはんと無口が服着たような初老のおっさんとできりもりしていた。水が出されてから注文までのスピード感が吉野家といい勝負だったのには焦ったが、味は普通の天一だった。

そして、と・に・か・く、17時過ぎに磔磔に着いた。
入り口前の駐車場はすでに熱気があり、熱気のあまり新商品のステッカーを購入。またドラムに貼るべ。
店員やスタッフが、今日は超満員です。荷物をぜひ預けて下さい。人が多すぎて暑すぎるのでとにかく身軽に、とにかく荷物は預けろ!と扇動を繰り返していた。荷物預けて500円てなんや。しかも繰り返し使ってるごみ袋みたいなビニール袋ってなんや。んで、ブルーシートに置いとくだけってなんや。とまったく理解できなかったので、荷物は預けずに開場を待った。

前から四列目くらいに陣取った。腹具合が悪く、入口で手にした缶チューハイは呑まずにしまい、ただただ目を瞑って開演を待った。十分くらい経ってからだろうか、二列前のちょい酒焼け声の「なんでも楽しかったらえーやん」という思想と思われるおばはんがスマホでガンガン写真を撮っていた。その時点で「ん!?」とは思ったが、楽しかったらえーやんと切り返されたら鼻からニンニクみたいな形の鼻息しか出ないので、見ない振りをしてやり過ごし、いよいよ開演を待った。

スタッフが超満員だからもっと前に詰めておくんなせぇと言うので少しずつ少しずつ、前に前に進み、そういうときにイケイケな人はグッと思いきり後ろから前に切り込んだりするのだが、僕の左横をスッと抜けて、目の前に開場前に「こいつはヤバいな。近くにならんかったらえぇな」と目をつけていたタンクトップのムキムキ兄ちゃんが現れた。ゾッとした。「こら荒れるぞ」と腹に力を入れた。

18時きっかりにイースタン登場。入場BGMは誰かの何かのラテンジャズ。レコードから落としてるくさい味わいのある音だった。

一曲目はアルバム一曲目と同じく「街の底」。そこからアルバムの曲を数曲。そしてコトが起こる。

ライブで盛り上がる昔の曲が続く。まずは「沸点 36℃」のイントロが鳴った瞬間に観客が海嘯と化した。そして僕は、呑まれた。荷物を持って後ろに逃げた。次の曲のイントロでもまた海嘯。今度は呑まれずにすんだが、呑まれて揉まれて吐き出された女の人が目の前に吐き出された。海嘯の足元に倒れていた彼女を起こす手伝いをした、礼も言わずにまたも海嘯に飛び込まんとするその女の背中を、ちょっとだけ強く押した。汗ばんでいた。

その辺りから僕の心は凪いでいく一方で、バンドがどんな曲をやろうとも身動き一つせず、鞄を守りつつ、直立のまま光の当たる方向に目線だけむけていた。
演奏は良かった。選曲や並びも良かった。ただ、僕が感動できなくなったというだけだ。イースタンを観るたびに感動の度合いは減っていき、直前には高ぶるものの、いざライブが始まると傍観する姿勢になっていった。なんて考えていたら楽しかったらえーやんおばはんがガンガン写真を撮っていたのだった。嘘やろ、と思った。

最初は遠慮していたか、ライブに集中していたか、とにかくカメラは出さずにいたが、一回盛り上がったから撮り始めたのか?つか、そもそも撮っちゃいかんでしょ。アナウンスはなかったけど、入口に貼り紙はしていた。以前も本番は撮らなかったがミュージシャンが出てくるまでと帰った後はステージや機材の写真を撮ってる人は目にしていた。その時ですら「ん!?」と思った僕だ。目の前のおばはんに対しては怒りや憤りすら抱けず、まったく理解不能だった。ただ、開演前の写真のくだりで他のきゃくとおばはんが話してるのを耳にしたのだが、どうやらそのおばはんはSNSでその写真等を公開してイイネかなんか知らんが自分の評価として受け入れ、自己顕示と自己承認の欲求を満たしているふうなことを楽しいやろーと焼けた声で言っていた。恐らく汗だくで歌う吉野さんや、汗だくで演奏するイースタンの面々の写真を自己の喜びのために使うんだなぁと目の前の海嘯にも神経を尖らせつつ、思考を巡らせていた。

「わたしの以前の生徒に有名人の○○という人がいた」みたいなことを言う先生に出会ったことはないだろうか?ミュージシャンであれば「以前○○という人と共演していた」とか自己紹介代わりに口にする人っていますよね。僕ね、そういう人をまず信用しません。で、貴方はなんなの?と思うからね。○○さんは○○さんの努力をしたし、そうやって本人以外がその人の名前を出しても相手が誰と分かるような人となりになるまでには相当な苦労もあったでしょう。が、その名前を口にする人間はどうもその名前で相撲をとっているような気がするんですな。まぁそれが説明としては便利だということも理解できるが、それで理解できるその人の経歴は光と影でいう光の部分であり、本質としての人格は影にこそ息づいているものだと思っている僕は、その説明をされるたびにどうも「?」が頭に浮かぶものである。

まぁそこまで深く考えているわけでなく、やっぱり、楽しかったらえーやん精神のおばはんであるが故に、楽しいが一番であろうから、そのおばはんはSNSにおいてイイネ的な自己を承認するサインを他人から受けることが一番なのだろうと後ろから見ていた。が、やっぱり、ライブ中に写真撮ったりするのは辞めようやと思う。花火とかもそう。「お前さ、そんな暇ある?目の前でコトが起こっとるんに、画面越しに見んでも、その両目で見て、しっかりと感じようや」と思ってしまうのである。それを紹介したいという気持ちや欲求も理解は出きるが、僕としては同じアホなら踊らな損々というくらいの軽く酔っ払った気分で思う次第である。

本編終了後、アンコール一曲目の「夏の日の午後」だけ聴いて会場を後にした。駅に直行して、耳鳴りの残ったまま電車に揺られて帰ってきた。その日のライブを反芻することもなく、持って行っていた松尾スズキの戯曲「ドライブインカリフォルニア」を読むことに集中していたら、春日野道を一つ乗り過ごして三宮だった。

自分の問題もあるが、周囲の違和感にも我慢ならんかった。ここまで繊細だったのかと顎が外れそうにもなったくらいだ。今後ライブハウスに足を運ぶことは今まで以上に減るだろう。でも、今回思ったのは、誰かと一緒に音楽を楽しむという楽しみかたは僕にはない。それならイヤホンとスピーカーから聴こえてくる音だけを音として自らを育んでいくほうがよっぽど良いと思ったのだった。そもそも音楽を楽しむということすら目的ではないのかもしれない。そんなことを感じた京都の春だった。
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2015年03月05日

20150205 semoroku

先々週のDAILYなど、昨日一昨日の録音のことで頭も心も一杯一杯で書く余裕はナッシング!セモ大次回作の録音風景を写真で公開。


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初日セッティング中。まだ何にも始まっとらんので全員元気。

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ステージ側の風景。これは前回と同じく、ドラムはとにかくうっさいので、人のマイキングの邪魔にならんように奥に奥に。その横にPAブース。

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ドラム座った位置からの景色。ドラムチューニング中、他の人はDQNネームの話題で盛り上がっていた。漏れ聞こえてきた情報によると、畠山さんの知り合いのお子さんの名前は「サブレー」というらしい。よっぽど好きなんやな、両親が。鳩を。って、嘘。でも何か外国人みたいな名前で盛り上がっていた。

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ケータリングのお菓子の山。僕が用意していた分と、お客様からの差し入れの分を含めるとOMATSURISAWAGIだった。差し入れの選び抜かれた種類にメンバー感動の面持ちで休憩のたびに貪っていた。ま、10分程度の休憩を数回入れるだけなので、小腹が空く上に買い物にも行けない状態だったのでこれが生命線だった。ありがとうございましたー!

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晩飯!
初日21時頃、正常な判断も演奏も出来なくなったので、四日間かけて仕込んだチキントマトカレーと定岡サラダと関谷サラダと実家の焼豚で初日の打ち上げに。実家の焼豚を食って近藤さんは「世界一美味いんやから音楽辞めて継ぐや!」と騒いでいた。確かに世界一美味いが、今のところはまだ音楽をやりたいのでビール飲んで無視したら「んもー!」と笑ってた。カレーも美味いと好評。この食事のおかげで初日は何とか「無事」に終わりを迎えた。

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セモ大初代マスコットに就任した野津昌太郎氏(メンバー外)。米は、美味いかい?

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二日目の写真はあまりない。これだって畠山さんがコソッとニヤニヤしながら撮ったものだ。だって内容録りきれるかキワッキワやったからね!

今回の録音はCD二枚分を録る算段でいたのだが、正直な話、二日目17時の時点でやっと一枚分の曲数を録り終えたって感じで、「こらえらいこったで!」と米騒動が起こってもおかしくない状態だった。リリースする内容や形態を変えたら?とメンバーからも心配の声が上がった、執念か諦観か、もしくはどうでもよくなったか、たった二時間強で二枚目分を録ったのだった。すごいぜセモ大!
ちなみに野津氏は二日目予定通り13時入りしたものの、押してるという理由で一時間散歩してやっと録音も、15時には「オールアップです。お疲れ!また20時に戻ってきて」と乱暴極まりない扱いを受けさせてしまった。まぁやったのは僕なんだけれども・・・。

打ち上げは同い年三人組でのぞみ青果で乾杯。話題は方々に散りながらも盛り上がった。當村が帰り際に「このバンドやっぱ凄いわ」とやった口にしたような感じで言ったので、「そんなこと言ってたら死ぬんかと思われるぞ」とだけ返事して分かれた。

二日目22時過ぎ、大林檎前のバス停の辺りで「したー!」と別れ、これでバンド活動が休止し、メンバーとも下手すれば一年以上会わないのかと思うと「寂莫」の二文字が胸を去来したが、夜の二号線沿いを自転車が段差を乗り越える時のガタンという揺れで前かごの炊飯器の蓋がパカッと開く度に二日間を費やした録音の感動やメンバーや近藤さんへの感謝や充実感は薄れ、疲れがひどくなっていった。

今週末には編集用に新しく買ったパソコンが届く予定だし、その他の必要な機材や資料も順々に手元に揃いつつある。来年の晩秋にはリリース出来たらと思う。お楽しみに!
posted by さだおか at 14:33| 兵庫 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月28日

20150228 SEMODAI2(仮)に。

今日で二月も終わり。早いな、おい。

22時過ぎ、二号線に沿って東に向かって歩いていた。厳密には境界線ではないが、この川を超すと六甲の残像は消えて中央区に切り替わるという線が僕にはある。その川の信号待ちの時に聴いていたブッチャーズの「kocorono」の「2月」をその時初めて聴いたかのような気持ちで聴けたのだった。この曲こんなだっけ?と思いながら切り替わらない赤信号を見つめて、その向こうの動かない車の列、向かいの歩道でぼんやりと立つ女性やスマホをいじる若者がその曲のリズムとメロディーに溶けたようだった。逆かもしれない。その光景に音が溶け込んだみたいだった。

音楽は聴く状況、場所、精神状態とそれぞれによって全部違う聴こえ方がする。それを楽しみたくて少し前はよくわざと一駅手前か行き過ぎて歩いて帰る時に聴いたりもした。自分が音楽の中に入る時もあれば、その逆で、音楽が自分の中に入ってくるときもあった。この「入る」っていうのは、歌詞の意味とか響きとかに引っ張られて心情がリズムとシンクロしだしたりすることを言うんだけど、その歌詞の登場人物になったりとか色々ある。そんなことは聴く人の自由だし、誰しもがやっていることなので詳しくは書かない。

少し前、ある人と歌詞の意味、歌詞を伝える事ということに関して話をした。その人は歌手なので、歌詞を大切にしたいという思いがあったのかもしれないが、僕は詩も書くし、ボイスでそれを使ったりもするけど、歌詞に関してそれは全くないので食い違って大変だったことを覚えている。その人は歌っている時に聴いてる人にそれが伝わってほしいと何度も僕に言っていたけど、僕が今まで見に行ったライブで歌詞を通して歌い手の想いが伝わったという経験はない。そんなことを考えて聴いたことはない。もっと自分の大幹というか太い部分でリズムやメロディ−や楽器の音を浴びて時空を漂うという感じでしか聴いてこなかったのでその考えはなかった。ただ「へぇー大変やねぇ。でもそんなこと誰も考えてないっしょ」と言って、返事だけして無視したらだいぶ不機嫌になられたな。
でも、歌詞に関しては音源で何度も何度も繰り返し聴いて、自分でもそらで口ずさめるようになってやっと自分なりの意味というか、その詩の風景や感触が入ってくるもんだと思うし、演奏者が何かを伝えたいと表現することをおかしいとは思わないが、それをそのまま伝えたいというのはエゴというかとんだ勘違いだと僕は思う。聴く人にだってその人だけの記憶や経験があって、その時の気分や状態があるんだから、その人の数だけ音楽があるだろうと思う。赤いものは?と聞かれて人によっては血と答えるだろうし、ポストとか林檎とか色々あるように、鳴っている音は一つだとしても、聴こえ方は色々だってこと。そして歌詞でも特に日本語以外の歌詞に関しては英語が理解できない人にとったらオノマトペと同じだろう。そんなもんにいちいち意味もクソも考えるようなことしてたら音楽が逃げちゃいますよと言っても向こうも聞く耳は持たない。そんな地獄のような平行線を小一時間もあの時はやったんだからよっぽど酔ってたんでしょうな。

上みたいなことを書いたが歌詞の意味はあると僕も思う。でもそれは赤いのが林檎だけじゃないように、歌詞が指す言葉がそのままの意味で伝わるかどうか、伝えるかどうかは全く別の話。「俺」と歌詞にあってもそれは歌う人のことでもなければ、作詞家の一人称でもなく、その曲の俺の「俺」だ。それ以外にも表現手法は書ききれないくらいある。あの時はそんなことをいちいち説明せんでも歌手ならよっぽど僕よりも詩や言葉というものに対する思想があると思っていたがそんなことはなかった。インド人がココイチ食って最高って言ってるようなもんだ。違うか。

僕が詩を書く時に大切にしていることは自分の中で嘘から出てないことと、想像出来る風景があることと、知っている言葉や単語しか使わないことと、安易に英語を使わないことだ。あとは字の並びとバランス。これは行間や空白も含めるから、詩を書く作業の半分はこれに使っているくらい大切にしている。メロディーに乗せるわけでもなし、はっきりとした発音で声にするわけでもなし、読む順番を変えたり繰り返したりその瞬間でまた変えるので、骨組みと言葉の発音のリズムだけをしっくりしようと作っているだけ。意味を伝えるほどの意味もなければ、伝わって感謝されるような意味を僕は表現せんしなと腹を括ってるわけだ。聴く人に対して「あとは任せた!」といつも思いながら書いてるし、ライブで声にしている。

いよいよ来週はセモ大次回作の録音があるので、この一週間は自分にとって大切な音楽や風景やそういうものばかりを体に入れようと心掛けて生活している。自分の音楽のコアみたいなものとちゃんと向き合わないと、ただの即興やライブでやってる曲を録って出したいわけじゃない。eastern youthの最新作「ボトムオブザワールド」を聴いて、それに関する吉野さんのインタビューも読んで、心して臨まなければならないと思った。作るのではなく出会うために録音したい。出会うのは自分か自分でも知らなかった自分か、それとも誰かかはどうでもいい。とにかく「これまで生きてきたんだから」という音にならんといかんと思っている。でもこれは他のメンバーに強制するものでもないし、出来るもんではない。その人たちにも生活があるし考えがあるから。ただ今回は僕一人でミックス(音編集)するから、完成までの割合で言えば録音は三割程度で、あとの七割はその段階でやればいいと見込んでいる。ただその三割も細心の注意を払って録らねばと色々と考えている。

また作ろうと思ったのは色々と理由はあるんだけど、前作を編集している時にその作業がすごく自分に合っていたことと、銀杏BOYZが昨年出した二枚のアルバムだろうな。ある時期からジャズのCDなんて最近までほとんど聴かなかったし、新譜を試聴しても何も思わないけど、あの二枚には心を奪われましたという以外の表現がなかった。それに悔しかった。予算もジャンルも違うけど、音楽を作るという行為は何も違わないから。
posted by さだおか at 14:24| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする