2015年11月20日

REVURE

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Masabumi Kikuchi / Ben Street / Thomas Morgan / Kresten Osgood


ちょっとお久なREVUREのお時間です。

このアルバムは今年発売されたものでして、詳細はHMVのレビューを拝借しますね↓。
フリージャズ、ロックなどジャンルの垣根を越えて様々なアーティストとセッションを行なってきたデンマーク出身のドラマー、クレステン・オズグッドの2008年ニューヨーク録音作品がILK MUSICから音盤化。我らがプーさんこと菊地雅章をピアノに迎えて、その菊地雅章トリオをはじめ現在八面六臂の活躍を見せるトーマス・モーガンと、言わずもがなの売れっ子ベン・ストリートというふたりの才気溢れるベーシストを起用したカルテット編成。互いの個性が拮抗し合う完全インプロヴィゼーションによる8編。

菊地雅章 (p)
Ben Street (b)
Thomas Morgan (b)
Kresten Osgood (ds)



ということで、生前にトーマスとモチアンとのトリオのCDのSUNRISEはまだ各曲にタイトルが付いていて咀嚼のしようがあると言いますか、こちらからの解釈のしようもあったんですが、このアルバムに関してはタイトルすらなく、録音時の#で使ってますって感じで、強者といった印象でそう簡単に買う人はいねぇんだろうなという印象であります。そしてパッケージングの仕様も非常に簡素であり、北欧系の合理主義的な思想が感じられる仕上がりになっています。

一応リーダーはドラマーの人になるんでしょうが、アンサンブルに関してはこれといった主導権を行使することなく、あくまでも四人の即興演奏に終始するという感じですな。

正直最初はクソやと思いました。買ってすぐにこれをプレーヤーに入れてちゃんと正座して聴いたのだけど、何じゃこの内容の散漫な即興は!?と一周だけ聴いてCD棚の底の方に沈ませていた。それから何カ月も過ぎたときに、プーさんが亡くなったということで過去の作品も再販されたのを手に入れ聴いてみたけど、これは元から好みではない時代のプーさんのバンドの演奏であり、あくまでも資料と知識の為だけに入れてみたんだけどストレスがたまるわけですよ、そういうことで音楽を知るということは。で、最近のプーさんであの買ったやつをもう一回ちゃんと何度も聴いてみようと思い、静かな夜や電車の中やらとにかく色んな状況で聴いてみたところ、こらすげーぞとなったわけですよ。

かなり集中して聴いてわかったんだけど、この録音はちゃんと一斉に演奏しているのを録ったということに気づいた。

普通、ここで「ん!?」と思われても仕方がないことを書いてんだけど、はっきり言ってこれを初見で聴いてアンサンブルの構造や関係性を理解できる人は演奏している四人以外にはいないんではないだろうか。それほどに悪く言えば散漫な構図として演奏している。が、それこそがプーさんが考えている即興演奏に於けるアンサンブルの在り方ではないかと、僕は思うのだ。いや、プーさんだけでなく即興音楽を志す幾人かの人の希望となる音がここにはあるのではないのかとすら思う次第である。

そういった面での編集は恐らく施されずに発表されていると僕は思うし、ここまでのバラバラな演奏というものもそう簡単には出来ないことなのだ。真っ当とは言えなくとも、少しでも音楽に関して勉強している人であれば感じる違和感と嫌悪感を挑発するでもなく、そんな常識とかもうどうでもいいからもっと音楽の懐の奥底に向かおうやという気概を感じずにはいられないわけ。僕なんかはまだまだ青くて、どうもそういう仮想敵を設定することでしかアンサンブルの考察は深められなかったが、それも年々どうでもよくなってきて、今となっては非常に廃退的な思想の元にアンサンブルを見ていたりもするが、この四人はもっと乾いていて、そしてもっと真剣なのだ。

こんなものジャズじゃない。そんなこと言う輩も当然居るだろうが、僕に言わせれば2010年代以降のジャズのメインストリームと呼べそうなあのしょうもないブラックミュージックこそジャズじゃないわけだよ。少なくともこのアルバムや即興演奏や音楽を心から信仰している人たちの方が50年代のジャズのそのキワキワ感はビンビンにありますよ。そしてこのアルバムのアンサンブルときたら、ジャズ界がずっと呪縛されているマイルスセカンドクインテットのアンサンブルとは全く別のベクトルの思想の元に構成されているわけだ。現代のジャズの多くとまではいかないけれども、目につく辺りのジャズはあのクインテットのアンサンブルというものの焼き増し、しかも劣化版でしかなく、それはアンサンブルというものへの思慮と考察に設ける努力と勉強のいたらなさを自ら証明しているようなものであり、このアルバムを一聴した時に「クソ!?」と思った自分にすら戒めとしてここに記するわけであります。

アンサンブルを考える。それだけのことも出来ずに道を歩いている人間の多いことったらない。
posted by さだおか at 09:37| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

20150404 REVURE

批評とは(スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること、とgoo辞書に出ている。今までそんなことすら知らずに「批評や批評!神社参って批評じゃ!みたらし団子も批評じゃ!団子チルドレンじゃ!」と四畳半の自室にて胡座をかいて過ごしていたが、今日は少しだけ冷静になってみようと思っていたが、せっかくのお花見頃に雨がつんつるてんと降りやがる・・・。やっぱり・・・批評じゃ、批評!団子もちくわも金正日も批評じゃ!わしゃお稲荷さんかい!ということでいつもの調子で独断と偏見のみで語る。

何がいいかなぁと考えてて、くるりの「THE WORLD IS MINE」に関して書こうと思い、CDラックにあるはずのCDを探したものの見当たらずに諦めた。どこのネズミが持ってったんや!?返してくれ。チーズやるから返してくれ!

で、何がいいかと思案橋・・・。

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松本人志の傑作コントDVD集「VISUALBUM 完成」である。

最初に断言する。
松本は浜田といっしょにやるコントが当然一番面白い。
こればっかりは断言しないと今日は話しが進まないのだ。

時系列は調べるまでもなく定かではないが、一人ごっつ、ごっつ、その他松本が笑いを追求した果てが今の映画監督という姿かとは僕は思わない。あんなもんはヘチマだ。この三枚組の中のコントこそ現代の笑いの最果ての光景だろう。その後の映画や昨今のバラエティ番組での立ち位置や風貌も含め、残響や残像に他ならない。
ダウンタウンに関する書籍は相当な量を読んだが、いまだに互いを語る言葉や想いは結成初期から変わっていない。ついこの間も見た番組でも共演者に「相方さんのことどう思ってる?」みたいな質問に、浜田が「ダウンタウンはこの人(松本)でここまで来たから・・・(略)・・・尊敬している」と話し、「じゃあ松本さんは?」と共演者に振られ「なんとも思ってない(笑)」とボケでごまかして詳しくは語らない松本と、その感じは一貫してダウンタウン的やなぁと見ているこっちが照れてしまいそうになる。だからいつかのガキ使ではわざとダウンタウン二人っきりにして隠しカメラで撮影したりもしたもんだ。二人の間でかわす会話はなくとも医師は疎通しあい、周囲もなんとなく感じ取ってはいたが、齢50歳を超えた二人にだからこそ聞けたりいじれたりする部分なんだろうと思っている。

松本の笑いとは自身が経験した哀しみと寂しさから生み出されている。不条理な設定や状況はあるが、根底にあるのは経験というノンフィクションの流血する(した)傷口からの眼差しだ。それは滑稽であり、酔狂であり、妄想の苦々しさも孕んでいる。だからこの中のコントにもただのおかしい人は一人も出てこない。おかしい人にも道徳心も倫理観も家庭も思想もあれば、そうなった因果も当然あるわけで、コント中の台詞は細かくまでは決められていないだろうが、繰り返し行われただろう打ち合わせとリハーサルで松本を中心とした制作スタッフと出演者全員に登場人物の人格とそれを形成するすべての部分が出来上がっていったことだろうと思う。当然それは即興とは違う。しかし役に入る前の自分とその役との間みたいなところに重心を置いて演じているようにも見えるから、即興の要素である反射や思いつきの部分でも動いているから不思議だ。

松本が浜田以外とやっているコントはまるで人間と目覚まし時計が格闘しているようで一方的というか圧倒的なのだが、ダウンタウンの二人でやるコントは人間同士の会話で成り立っている。貫禄の違いか、コンビという関係性との違いか。
ガキ使のフリートークでもそれが即興なのか手癖なのかわからない。あれはコントの発端であり、限りなく簡略化
された戯曲のようにも思える。あの真ん中にマイクが立てば漫才で、衣装や背景が変わればコントということになるのかね。不思議。

僕が好きなのは「ミックス」で夫婦役のダウンタウンがクソしょうもない下ネタを血管切れそうなくらいの大声で延々言い合うシーンである。ダウンタウンかくあるべし!下品であってもそこには愛がある。それがダウンタウンのアイデンティティーなのだろう。

一方の映画ではその愛やその質感をあえて避けている感すらあるのでは?と全作品見ていないお前が言うなと俺の中の俺が言っているので今日はここまで。

posted by さだおか at 02:55| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

REVURE 声

批評はいつだって風に聴けば良い、全部を教えてくれるから。なんてディランみたいなこと言ってないで、今日も今日とて批評だぜ。

SUGAR BABE「SONGS」
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たった30秒で聴いた人の顔を緩めるような音楽は他にはない。その30秒さえあればいい。その日の出来事を思い返すのも辛い日にも、これまでの人生を振り返り後悔や辛酸を呑む日にも、その30秒さえあれば体は軽くなり、気持ちは晴れる。音楽の魔力とはそのメロディ、そのリズムを聴く度に初めて聴いた時の匂い、感触、情感を自分でも忘れてしまっていた記憶や体温を一瞬で心から引きずり出すことだろう。ゆえに一生聴かないという人もいるだろうが、それとて音楽を深く愛するが故、音楽を信じるが故のことだろう。

歌にとって声はすべてだ。歌詞なんて何でもいいというと乱暴だが、オノマトペでも適当なハミングでも声がすべてだろう。歌詞がいくらその情景を隅々まで具体的に描写していても、その声が情景の輪郭をなぞれなければどうぞ歌わなくて結構。歌詞を歌うのではない。歌が、声が歌詞を立体的に浮き立たせるのだ。そう、説明ではなく表現だから。

すてきなメロディーを聴く為だけにこのCDは手放さない。ネットをチョコチョンと探せば音はあるかもしれないが、山積みのCDからこのアルバムのジャケットを想像しながら探し当て、何の絵やねんと思いながらケースからCDを取り出し、一曲目は飛ばして先に二曲目のイントロで踊る。二番を待てずに大貫妙子の声が聴きたくて6曲目を聴いて想像を膨らませる。

カーテンを開けると窓が曇っている。部屋一杯に二人の匂い。彼女はその格好のまま立ち上がり、彼女の目の高さ辺りの窓を人差し指でなぞる。曇天の三階から見下ろす駐車場には何カ月も持ち主を待ち続ける自転車がある。今日もあるねと横顔が言う。外から丸見えだよと言っても横顔は動かない。急にお腹空いたと言って
クシャクシャの服を体に馴染ませるように、まるでその姿が自分の本来の姿かのように一枚一枚着る度に表情が体温を伴っていく。僕は不自然なほど不自然で彼女は不自然なほど自然だった。町はいつも通り喧噪のままに二人を受け入れてくれた。今日は今まで入ったことない居酒屋に行ってみようと思う。


膨らんだイメージに体を預けると居心地が良すぎる。それをクッと現実に戻してくれるのは次のすてきなメロディーだ。気持ち甘美なまま、眼差しは夢を外れて今を見ているがその後味が消えるか消えないかの内に曲は終わる。あっという間、2分38秒の魔法。それでお腹一杯。おかわりは要らない。そしてまたCDの地層に紛れていく。

音楽は無理やりにでも記憶と妄想を引っ張り出してくる。それが怖くもあるし楽しくもある。言ってみれば畏怖、それを感じなくなったら僕は音楽を聴くことも演奏することも辞めると思う。
posted by さだおか at 14:47| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

REVURE 20141108

もはやいわゆる一般人でさえも批評されるということから逃れられん時代だ。SNSがあるからな。がしかし、昔
日から人の噂や嘘の俎上で誰しもが批評の魚だったということを忘れてはならない。人との距離感が微妙に狂ったというほどのことでもなく、「明るみに出た」という程度のことだろう。

PCのすぐ向こうが窓になっていてそこからの景色を見ていて今ふと思ったが、批評といってもその対象は物に限る必要はないかなと。現象や共感不能な事象でもいいんじゃないかなと思ったりした、って結局は薬局、僕の音楽性然り、自然体でやろうとすればするほどに一般的に認識しているその意味とは違う解釈を当然のようにしてしまうんですな。こらダメだわ(笑)

いましろたかし「ぼくトンちゃん」
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 「宇宙行こうな。いいぞ宇宙、悟れるぞワハハ」
 そこに答えがありそうでないんだよな〜ぷっぷ〜。
 漫画の極みだと思います。感情という感情、感動という感動、この世の全てが見えてしまう切ない話だからです。
 勝てば負けないんだという事を学んだと同時に勝つ以外には負けるしかないということも学びました。勝ちも負けも認識次第なんですけどね。
 金あったらいいんか。都会で最先端を感じてたらいいんか。便利で豊かならいいんか。夜と昼の区別もなく賑わってたらいいんか。自分さえ幸せならそれでいいんか。でも、どうやってもそういう生き方ができんのならどうしたらいいんやろか?
 人生は辛く長く厳しい上に切ない。かける言葉も毛布もないくらいに傷つき疲れ果ててしまうものだ。そんなときは迷わずに諦めればいい。諦めて諦めて、それでも苦しくて足を前に出さないことでは済まない、済まされないのだ。最近思う。怒られたら謝ればいい、と。とにかく謝ればいい。そして時間が過ぎてくのを待つのだ。腰を直角に曲げながら、地面に額を付けながら、相手の靴を足を舐めながら、それでも決して涙は流すことなく目をバレないように見開きながら。

 
posted by さだおか at 16:09| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月07日

REVURE 20141107

 批評だ批評。世の中批評がすべてだ!・・・ってそんな世の中絶対に丸ーくおさまらない気がするので僕は嫌ですが皆さんはどうでしょう?ってそんな難しいこと考えてないでレビューレビュー。

TOM WAITS「CLOSING TIME」
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 バーの閉店後のことだ。「なんだよ今日のピアノのやつは常識ねーのかよ!使ったら元通りにして帰れよ。常識だろ?」とかなんとか言いながらマスターがふらつきながらピアノに近付き蓋を閉めようとするが、酔っ払って重いもん持ったりしたら危ないし、最悪の場合自分だけじゃなく大切な楽器まで傷んじゃうと一瞬冷静になって疲れて椅子に座った。なんとなくCの音を弾いたりしたかもしれない。なにかの曲のさわりを弾いたりしたのかもしれない。長年調律もせずにへばったピアノの音だったのかもしれない。さらに酔っていたせいかそんな音で昔の出来事を思い出したりしたのかもしれない。そのせいで気が重くなってぼんやりしているのかもしれない。忘れてたこと思い出してしまってまた急いで忘れたくて目を瞑ってたら眠ったのかもしれない。気怠いような安寧のような、コロコロとオルゴールの針が一音一音弾くように音が聴こえてくる。そんなアルバムだ。タイトルとジャケットが収録されている12曲以上に物語っている。
 声は夜を静かにするだろうか?
 おさまらない感情を飼い殺すのがなぜ悪い?
 それが夜に沈むという行為だろ。静かな夜は誰かがきっと歌っているのだ。呟くように囁くように、自分を時間に滲ませるために。
 自分が自分だと思っていた以上に自分は自分でも未知なる部分があったのだと気づかせてくれるはず。それが良い音楽の条件であることは疑いようもない。信じてくれてもいい、これは良い音楽だ。
 聴いても、泣くなよ。
posted by さだおか at 11:06| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月17日

REVURE 20141017

新規格です。おっと、新企画です!

週刊DAILYに次ぐ新企画は「REVURE」。そう、レヴルュゥーです。ま、英語でいうとREVIEWでレビューなんですが、ここはフランス語の方がビシッと決まるかなと・・・違うか。まぁでもレビューっていう響きより、レヴルュゥーの方が意味が分かんなくていいかなと思い、REVUREにしました。それにREVIEWっていうとGLAYのアルバムとかぶっちゃうんで、あれは僕が小学生の時に買った思い入れのあるCDですので、そこは礼儀というか聖域というか、今回は避けとこうという判断です。なんのこっちゃ。

で、この企画も可能な限り週刊モノにしたいなと思っていますが、批評ですので多少なりとも自分が影響を受けたとか血肉になったものを取り上げてREVUREしていきたいと思いますが、書くのが僕なのでそのモノの良し悪しや内容を云々いうつもりは毛頭ありません。その点でREVUREとしての大半の機能を自ら進んで放棄しているわけなんですがー(笑)。取り上げるのはCDや本や映画と問わず、目や耳や鼻や口から脳に情報を伝達可能なものなら何でも取り上げていこうと思います。枕とか靴下とか横断歩道とか中華料理屋の割り箸のフォントとか、とにかく五感で感じられるものは何でも!時には第六感で感じちゃうものも批評していっちゃえっていうフリースタイルなレビュー、おっと、レヴルュゥーにしようと思います。

DAILYもそうなんですが、最近のこのブログはあんまり面白くないなぁと感じていまして、それは内容がというか文章自体が書いてても面白くない上に、特に書くこともないという状態で一年近くいるんですが、それでも何とか面白いものをと思っていますがこうも冷たい風が吹くような時季になりますと準備運動を抜きには運動禁止って感じでしょう?その準備運動というかリハビリとしてこういう企画を自分に対して打ち出してゴーサインもらって書いて読んで読ませてってのを、それこそとめどなくやらないと辞めちゃいそうなんでね(笑)。そういうわけで自分を鼓舞するっていう意味と、文章での表現力の向上のみを目標に書き綴っていきたいと思います!

記念すべき最初に取り上げるモノは・・・男の中の男の子であり、男の子の中の男、ジャストザオトコ!男の墓場プロダクション代表、杉作J太郎さんの著作「杉作J太郎がかんがえたこと」であります!はい、パチパチ〜。

※一応どんなモノなのかと分かるように写真なり何かのURLなり貼っていこうと思いますが、あくまでも分かるためだけのものですので批評とは別物と思ってください。


何度も読み返している。何度も何度も読み返しているような気がするが、実際は三回ほどしか全部を通しては読んではいないような気もする。
杉作さんは40代(この本の最初らへん当時)の男が声に出すようなことじゃないことを声に出す。それは自分が幼い頃ハートに絵に描いたような大人はいないということをさめざめとして夜空に訴えかけるようなものなのかもしれないなと、杉作さんの文章を読むと思うのである。

杉作さんは夜空である。大きく暗い。しかし綺麗なお星様が点々ときらめいていて、お月様も日によって時によってさまざまな表情と輪郭で漂っている。薄っすらと太陽が見えるときもある。
夜空はそのすべてを受け止め包みつつ、確実な一線を引く。
「俺とお前は、俺とお前くらい違うんだ」と。
しかしそれも顔に出したり口にしたりは絶対にしない。多分。その「多分」というところに男としての悲哀と滾る想いがあるような気がする。「俺だって爆発するぞ、いつかはな!」みたいな。そういう脅迫めいたことを表情や気配で感じさせようとしていても、0.1秒後には「なんてね(笑)」と自分をはぐらかす。その積み重ねが印象となり、あのダメなおじさんとして100点のルックスをキープオンしているのかもしれないなと僕は思うのである。

いい歳してからアニメにハマったり、映画を作ったりと、自分で自分をどんどん分からなくしていってるようにしか思えない杉作さんの動向を見ている限り、ダメで元々、うまくいってる奴はその内痛い目を見るだろうけど、どっち道自分には関係ないのだ、そうなのだ。と、諦観というか諦めというか期待には相応の不満と不安と虚無があるんだよと教えられているような気もするが、当の杉作さんはしょうもない下ネタと金がないとばかり口にする50代になっていった。

何度も何度も何度もこれを読み返す理由はただただあとがきが読みたいからということに尽きる。あとがきの素晴らしさたるや言葉で表現するとすれば・・・「マジ勃起」以外にないでしょう(笑)

人の心のヒダというヒダを涙と笑いで優しく愛撫する男、杉作J太郎の言葉は軽く、そして重い。それは日常であり、生活だからだ。瞼を閉じれば世界は消える。しかし開けずには暮らせないから人は揺れる。そういう人の優しさと切なさが薄らぼんやりとした昨日から聞こえてくるような気がするのである。


星:五マンコ、おっと五万個です!
posted by さだおか at 09:32| 兵庫 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする