2020年03月03日

落ち着いて買い物もできない

平日にもかかわらず近所のスーパーが混んでいる。朝の開店直ぐにも関わらず混んでいる。いやぁ、もう息苦しくって仕方ない。そら休校になるくらいだし、連日新聞の一面は必ずコロナに関することが載っているくらい大変な時期なのだが、比較するに東日本の震災がまず頭に浮かぶものの、あの当時以上の息苦しさと目まぐるしさを感じている。


理由は簡単。SNSの存在だ。


それ自体に恩恵もあるが、やはり知らなくていいことまで知ってしまうということは問題がある。が、情報が何よりも価値と意味を有するという現代じゃ、もはやそういうことを口にするのは野暮というか野人なんだろうか。


常々気持ち悪く思っていたが、その日その人が何を食ったとかどんなライブをしたとか見たとか本来なら会って話してようやく知ったようなことが画面をスクロールすれば山のように出てくる。山のように出てくるってのは変な表現だな。ペンギン村のあの山が山のように出てきたら、そこはもうペンギン村だ。村だ、山田。山だ、村田!むーーー。


で、実際に会って話した時に「それ見たわ」とか「知ってるで」と言われることにさすがに最近は慣れたが、やはり気持ちが悪かったし、そうしてその情報の事実性の純度が高いと思っているんだろうか。そこに違和感を感じて毎週まとめて嘘日記みたいなものもこのブログでしばらく書いたけど、結局まとめて書くということが面倒でやめてしまったが、僕はエッセイやコラムばかりを集中して読んだ時期があって、あれの内容もフィクションかノンフィクションかと分けるのならフィクションなのである。あるパーセンテージの事実に話を盛って膨らませて書いていたり、ときに誇張していたり、場合によっては妄想や夢想の濃度が高いと思うのである。


SNSで虚実性が高まると、実社会においてよっぽどの人気者でない限りは他者からの反応は極々冷たいものである。というのもわざわざそういうことをするために発達した場やコミュニティーではないからだ。で、それが爆発的になったのが東日本大震災だったのではないかと今は思う。あのときの原発に関しての情報がそれだったように記憶している。それがさらに発達してフェイクニュースとか誰かの利益にだけ繋がる布石のような情報としてあまりに便利に使われすぎてきたツケが回ってきたんだろうな。


僕は使っていないがLINEも然り。家族間でも知らなくていいことやわざわざ言語化する必要のなかったものが、簡単に出来るがゆえに実行されない以上は信用を得られないという関係性になってきてんじゃないかなと思っている。被害妄想かしら。


3日の今夜はコロナの影響でライブが中止になって、日中のレッスンも生徒さんの仕事がそれによって休みが飛んで中止になった。それ自体は仕方がないのだ。音楽やエンタメというものは生活の優先順位は低い。だからこそスーパーやコンビニといった小売店は大盛況なのだが、それもまた揺り戻しがあるに違いないと確信している。
posted by さだおか at 23:33| 兵庫 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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