2017年06月17日

実家にて。

四月の春祭り以来の実家である。あの当時はまさにデザイン入稿等の真っただ中でちょっとした息抜きにちょうど良かったが、今は少し呆けてしまっている身体をリフレッシュさせるためにも今週末はゆっくり過ごすつもりだ。


明日は日中は高校の吹奏楽部の定期演奏会の打ち合わせに行き。夕方からウォークマンと酒を持って砂浜へ行くつもりだ。あの砂浜で考えたことは一つや二つではない。感じたことはその倍でも少ないくらいだ。安心するという一言では言い表せないくらい、僕の中では一つの思考の基準点のような場所である。


渚という言葉、それが意味する所、浮かぶ場景が僕にはなかった。喪失したのではなく、ハナから持ってなかった。だが、アルバムの曲に「遠い渚」と敢えて名付けた。それはあの野津のアコギのソロをミックスしていく段階で無性に波の音が聴こえてきたのだ。そしてその波で濡れた砂浜に足跡を残す華奢な女性の足首が見えた。想像というより妄想に近い。その情景が音から広がったときに、渚を初めて知ったのだった。


波音を聴くのではなく、愛でるようにその先の水平線と見ながら音楽を聴く。時々酒を呑む。呑めるだけ飲む。つまみは近所のスーパーの油臭い唐揚げでもいいし、乾きもののスルメでもいい。それを口にする様が砂浜で絵になるのかどうか。合わせる酒とどうかである。


明日は何を飲むべきか、今日は近所の酒屋をひと回りして来た。やはり夏はラムか。マイヤーズのダークが1300円。安い。タンカレーも1300円だった。これまた安い。んー。ウーロンハイも飲みたいが、どうすべきか。


あと海で飲む上で一番重要なことがある。それはコップだ。球場とかでよく見るあのプラスチックのベコベコのやつでやる、それが格別である。それも絶対に500mlくらいの大きさのでなければならない。それを持つたびに手が水滴で濡れるが、それをジーンズでぞんざいに拭いて飲み続けるのも何となく野趣というかいかにも外で飲んでいる風でいいのだ。


徒然にそんなことばかり考えている時間がすでに気分転換になっているのである。
posted by さだおか at 01:29| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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