2016年10月25日

天狗の鼻は二度折れる 本文公開5終

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 嘘みたいに長い時間を俺はここで眠って過ごしていたみたいだ。見た事もない鳥が空を飛び。見た事もない植物が森を構成している。寝転がったままいたからだろう、体が一切動かない。それでも眼球の動く範囲の世界をどうにかとらえようと頑張ったが、ごく短い時間ですらひどく疲れ、諦め、昼と夜とが同居する空を見上げていた。
 眠っている頃に見たあの夢は、本当に夢だったのだろうか。あの長い夢は、遥か昔の言葉で言うのならば「輪廻」というものだったのかもしれないと、声には出さず、意識の中でその言葉を発した時、涙が流れ出た。
「ここが無間の果てじゃないのか?」
「俺がそれに辿り着く事は出来ないのか?」
「俺は死ぬ事も出来ないのか?」
 後悔、疑問、憤り、羨望、その他人間の持ちうる、あらゆる感情が、その涙の正体だった。その涙が顔を伝い、大地にしずくその時に、空に同居する昼と夜が撹拌を始め、森に棲む様々な生き物が蠢き騒ぎ、変体し、その一切がことごとく虚無を貫き、新世界だったはずの場所は、果ての見えない荒涼とした砂漠となり果てた。そしてようやく、涙は枯れた。それなのに、それなのに、俺は未だに体を動かせず、ただ空を見つめるだけで、ただただ流れる時を弄び続けるだけの自らを顧みる術すらない。例えあったとしても、何かしらの感情が肥大化するだけで、救われるはずの明日の自分を想像する事すら苦々しい。「雨さえ降ってくれれば」と何度思っただろう。歩き続けていた時のような灼熱の日々はないが、漠然とした不安が精神を磨り減らしていた。

 やっと体が動くようになり、周囲の光景を確認すればするほどに、そのありさまとは裏腹に精神が妙に静まりかえっていった。「何もない」そんな現実味のない状況を、一切の不安もなく、ただただ受け入れられる精神を俺はいつしか手に入れていた。「死ぬ事はない、出来ない」とあの時に想ったからだろう。大袈裟に言うのなら、死ぬ事がない以上、生きるしかない。いや、生き続けるしかない。しかし、「死」という一つの終わりがない以上、生きるという事の実感も、その生命が有する時間や、それ自体に執着する事もないと断言できる。かといって、一切の事がどうでもいいと自棄になる事もない。いや、そんな感情は何度となく取り出しては仕舞う事を繰り返している内に意味は磨耗し、ただの癖になってしまう。

今日は何かしたか?
昨日は何があったのか?
明日は何をすべきなのか?

 そんな事はもう、どうでも良い。俺は生きている。それだけで十分だ。いや、もしかしたら俺は生きていないのかもしれない。俺以外の誰かの記憶や妄想の中の存在でしかないかもしれない。しかし、俺には目の前の世界が広がっている。例え、そこに自分以外の何物も存在していなくても、俺には目の前の世界が確かにある。俺には俺の目に映るだけが全てなのだ。ようやく今そう思えるようになれた。歩き続けていた頃には、辿り着く場所もあてもないままに足を動かし続けていたあの時も今も、俺のいる世界は実は何一つ変わっていないのかもしれない。俺の容姿風貌が人から天狗に変わろうとも、また天狗から人に変わろうとも、俺が立つ世界にとっては、何一つの変化でも何でもないのだろう。
もう何年も何十年も何も口にしていない。最後に感じた空腹を満たしたのは、水溜りの水と泥だった。それも遥か昔。今の俺の体を流れる血は何で出来ているのだろう?そんな事をふと思った時に、喉が急に渇き、空腹を感じた。堪らず足元の砂を掴み、飲み込んだが直ぐに体から流れ出た。空しい感触だった。流す涙や、揺れる心だけでなく、体を構成する為の何かすら必要でない事が分かった。だからこそ、あの泥水の味をまた味わいたい。人間だった俺と、天狗になった俺とを繋ぎたいと思ったと同時に俺の手は鼻をへし折ってもぎ取り、砂に埋めていた。特に意図があったわけではないが、反射的にそんな事をしていた。雨が降り、水が溜まり、そこで手にした蓮根を、また砂に埋める事でそこにまた水溜りが出来るような気がした。別に祈れば報われるとは全く思わないが、そうせずにはいられなかった。そして、数千年という想像も出来ない長い時間が過ぎていった。

真っ暗な道を、出来れば真っ直ぐ歩きたい。でも、勘だけではそうはいかない。明かりで照らさなければ、足元もろくに見えないのに、何とか自力で歩もうとするが、恐怖と不安で全く足が前に出ない。仕方がないので心の中の欲という欲を燃やし、提灯の代わりにでもして行こうと思う。それでも真っ直ぐ歩く自信はない。さらに欲を燃やし、提灯ををひと回りもふた回りも大きくしてみる。明かりは強くなり、道も遠くまで見えるようになった。しかし、まだ、もっと、遠くまで見たいと思う。さらに欲を燃やす。さらに視界は広がる。それでも、まだ・・・。
 恐怖や不安を拭う為ではない。「余裕が欲しい」とでも言えば良いのか、今の現状に不満があるわけでもないのに、そんな事を繰り返し、自分が今立っている世界全てを知ったような気にならなければ、自分がただ立っている事すら見失ってしまう。そして、燃やし続ける欲もとめどなく溢れて来る。求めれば求めるほど、望めば望むほど、露骨に、大胆に、狡猾に、剥き出しの生命から滴る血が尽き果てるまで、肥大し、身を滅ぼす。何かと比べたり、理想を想い描いたり、これからの行く末を案じたりと、それらが全て欲の餌になる。自分の可能性を想像する尽きない欲こそが、自らの未来を屠るといっても良いだろう。それを知りつつ私は、欲を燃やし続け、まだ一歩も足を進めずにここに立ち尽くしている。
 静寂に耳を澄まし、逆流する生命の確信を疑い、風塵と化した一切を目を瞑る事で忘却し、呼吸する余白を泥と灰で塗りたくる。網膜、脳みそ、骨、足の裏の皮膚、今を感じる全ての機能よ、我を忘れよ。そしてまた会おう、輪廻を外れた恒久の命がたゆたい、纏綿し続けるのならば。

posted by さだおか at 16:41| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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