2016年10月24日

天狗の鼻は二度折れる 文章公開4

あと二回です。










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 長い長い時間の果てに、俺が寝転がっていた場所は、何度も何度も雨が降っては溜まり、降っては溜まりした、雨水で出来た池の底になっていた。その間も蓮根の花は幾度となく咲き、同じ数だけ枯れた。その池にもまた幾度となく生命は生まれ、育ち、そして死んでいった。様々な生命がそれぞれに機能しつつ巡っていく様子を、底に沈んだ俺だけがその輪廻の外で、その一切を眺めていた。 
 何度生まれ変わろうとも、その生命の本質は決して変わらない。そしていずれも純粋な欲望だけを使命に自らの生命を謳歌する。例えその時間が短くても、春に生まれたものは夏を楽しみ、秋には憂い、冬のころには慈しみを憶え、二度目の春に命を味わい尽くし、死ぬ。そして夏にまた新しく生まれ変わる。そうして四季に生まれ、四季に死んでいく。俺は自分が生まれた季節も知らなければ、当然死に行く季節も、知らない。俺にはその四季すらないのかもしれない。
 今の俺には昼も夜もない。歩くしかなかった頃の俺にすらあったものも今はもうない。あの空白のような日々以上に空白の日々は、俺が真理に触れる事すら許さず、ただの生命の澱だったという事を受け入れる為だけの場所だったのかもしれない。自らの手によって、無限地獄の門を壊し、二度とは帰ることが出来ない。いや、最初から帰る場所も、そこで帰りを持ってくれている人もいない。存在しない。絶対的な概念も蓮根の穴から漏れた気泡の一つとなって水に溶け、それを呼吸し取り込んだたあらゆる生命が俺の概念を抱き、生きた。俺が俺を捕食し、そしてその俺が朽ち果て、その養分にまた俺が集まり、またその集まった俺を俺が餌として捕食する。唯一の実体である俺は、ずっと、底で目を瞑り、無間の果てを待っている。
その池に咲いた蓮の花の上に座る者だけは、俺の概念ではなく、まるで自らが真理の一部である様な顔をして座っている。しかしその者も永劫の果てに経典に帰っていった。
 その者が経典に帰ってからというもの、全く雨が降らなくなってしまった。それどころか、夜すら来なくなってしまった。ずっと明るいまま、気が遠くなるような時間が過ぎたと思う。ある時、急に真っ暗で、冷たい、夜とも闇とも呼べない不穏な時間が流れ、それから一向に明るさを取り戻す様子もない。その繰り返しが何度かあって、あの真っ暗な時間の記憶も焦がす程の灼熱の日々が続いた。対岸の見えない海のように巨大な池が、陽炎の彼方から日に日に対岸が現れてきていた。池に棲み付く鳥や動物も次第に姿が消え、その池の中で育まれた無数の生命も次々と息絶え、消えた。
 その池だっただろう広大な窪んだ土地の底に、妙に堆積した砂の山が見える。風が吹く度に、ちょっとずつちょっとずつ崩れていったその砂山から、人が、いや、人のような形をした何かが露わになっていった。頭の後ろに手をまわし、両足は膝を立たせ、まるで公園で昼寝をしているような格好で、人の形をした何かが横たわっている。人と確信を持てないのは、顔の辺りに妙に突き出た物があるからで、それがもし何かが顔に突き刺さっている死体だったらと思うと、今以上は近寄りたくないし、見たくもない。ここじゃ何の気配もない。風が鳴り、地面が焼ける音しかしない。いや、そんな音すらも頭の中で、想像しているだけなのかもしれない、と思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
 天狗が、そこにいた。天狗が笑っていた。いや、笑ったようなカオで天狗が眠っていた。恐かったが、もっと見てみたいと思い、一歩近付いた瞬間、天狗が目覚めたような気がした。その瞬間、物凄い地鳴りと同時に自分と天狗だけの空間の四隅が融け始め、一発の烈風が吹き抜け、閉塞した空間を簡単に打ち砕いた。それでも自分と天狗との距離や様子は変わらず。「また想像か」と思った瞬間、天狗がその千里を見通す様な大きな目玉だけを動かしてこちらを睨み付けていた。
「おいおい、何年待たせたら気が済むんや、お前」
 その天狗の声はどこかで聞いた事のあるような声だった。
posted by さだおか at 20:30| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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