2016年10月21日

天狗の鼻は二度折れる 本文公開2

昨日公開したのは今回の再演用に書き下ろした「DANMEN」でした。

四年経ってみてどうも天狗だけでは意味が立ちすぎていると感じ、もう少し焦点をぼやかしたい、視点を少しずらしたいと思い書きました。文体も口語体を心掛けて語り下ろし風にしてみました。ライブでそういう風に読み直すことはあっても、台本やテキストの段階でそう書いたのは初めてかな。

今日からは天狗の鼻は二度折れるを公開していきます。全5回くらいを予定。では、予習不要の方はお帰り下さいー(笑)


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「天狗の鼻は二度折れる」 

 何日も何日も歩き続けた。一日二日三日、一週間、十日、二週間とまでは数えたが、それ以降、明るければ昼、暗くなれば夜という以外に判然としないまま俺は、何日も何日も歩き続けた。


喉が渇き、腹も減った。何も口にせず歩き続けた挙句に、もう泥水を飲むしかない。地面に溜まったそれを前に、手で掬うなんて考えもせず、犬の様に地面に這いつくばり、その水溜りの上澄みを直接口で飲んで凌いだ。それでもまた歩き続ければ、いずれはまた喉が渇き、腹も減る。その都度目の前に必ず現れる水溜りを、泥だけが残るまで飲み干した。雨は何日も降っていないのに、どうして水溜まりが出来るのか、そしてどうして俺が望んだ時に現れるのか。あの時はそんな事を気にせず、何も考えずに泥水を飲んだ。
人間らしさなんて物は地べたに手を付き泥水を口にした時に放棄した。生きるという生命の前提のような、そんな凡庸な情熱さえ、歩き続ける内に磨り減り、明日にはもう消え失せるのだろう。それでもまた一歩、また一歩と、足を前に出す度に繰り返す自問自答は空転するだけだった。何を期待するわけではないが、せめて何故こんなになってまで歩き続けているのか、それすらも分からず、毎日夜を迎えては目を瞑り、体を休め、明るくなればまた歩くという事を繰り返していた。
ある夜から毎晩暗闇に文字が浮かぶようになった。そこにある文字や言葉は自らの祈りのようであり、またそれがあてがわれたこの刑罰のような日々の意味や切実さをあらわしているようだった。
「生きなければならない」
「生きる」
「生きたい」
「生き切る」
「生きるしかない」
「ただ生きる」
「死ぬまで生きる」
「死ぬまでは生きる」
「生きてみたい」
「生きていると信じたい」
俺は、こんな畜生みたいな風貌になるまでは生きるという意味を考えることもしなかった。でもそんな純粋で単純な欲望こそ簡単には棄て切れず、今や一握の砂ほどになった自我さえも、雨風に曝す事で掠れ、いずれはその「己」という概念も吹き去って行った風の残響のようになり、まるで一瞬で拭い去られる汗のにおいほどの重みでしかなくなっていた。
唯一、体が自然と覚えていたのは、疲れれば休み、それが癒えればまた歩き出す事くらいで、「動かない事」と「動けない事」の差異に怯える事も、もうない。
ただ、そうやって動く事を止めた時に何かが終わるという事は分かっていたのだろう。何処をどう歩いているのかも定かではない。目は日中の陽で焼け、視界は真っ白になり、耳は鳴り止まない耳鳴りと微かな音にも恐怖する事にも草臥れたので突き潰し、最後に血生臭い獣の存在に恐怖する事のないよう鼻を石で叩き潰した。その時は痛みもまともに感じる事はなかった。それでも微かに感じた痛みのようなものは、傷付いた肉体にではく、自らを傷付けたという後悔のような気分のものだった。しかしそれでしか確認の出来ない自分の生命の在りかが、泥の水溜りに浮かんでいるように思っていた。
もう地面に俺の足の裏は着いてはいない。しかしそれでもまた一歩また一歩と足を動かしていた。いや、実際はそう動いていると想像していただけなのだろうが、確証はない。体を流れる血や流れ出る汗は泥水になり、肉は砂と同じく乾き軽くなった。歩き続けた俺は、肉体、精神が朽ち果て、概念の中でのみ意識を保っているみたいだった。流転する空白にまさしく俺はいた。そこには俺以外の存在はなかった。俺以外、完全に真っ白の世界で俺は、畜生どもよりも醜くなり、地獄よりも長く苦しみ、果てのない無間の時の終わりを待ち続けるのだった。
posted by さだおか at 11:16| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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