2016年10月20日

天狗の鼻は二度折れる 文章公開1

「天狗の鼻は二度折れる」で使う文章の公開第一弾です。予習不要という方はここまで。



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断面
 
 専門学校入ってすぐ、すぐといっても、二か月か三か月くらい、その時にふとしたことから仲が良くなったピアノ科の男がいました。仲が良かったといっても、その男が少し孤独すぎただけなんだけど。当時の僕自身もそうだったけど、地方から出てきて、さらに腕に自信があるというやつは一様に自信過剰の気があって、また自分の好きな音楽以外に感動的なくらい排他的だったりしたからですけどね。僕も酷かったけど、彼はもっと酷かったんですよ。
 そいつはビルエバンスの枯葉はかなり本物っぽく弾けたりしたんだけど、それ以外の、もうビルエバンスがやってない曲となると、もうやる気も糞もなくて、それに対してあぁだこうだ言う親切は正義だ!みたいな顔して「そんなんじゃこれから人と一緒に出来ないよ」なんて言うやつが多くてね、同級生でも年上のドラム科の人が「定岡君もジャズしかしないんだったら合うんじゃない?」みたいに紹介されてね、まぁ何だかんだで二人だけでセッションしたりして、仲良くなっていったんですよ。
 そんで、ある日一緒に帰ってたら「ちょっと寄ってく?」と聞かれたので家に行ったんですけどね。そういえばこのときが神戸に来て初めて友人の家に入ったんだったかな?ま、そういうことは本題じゃないんだけど、部屋は一人暮らしの男って感じでとても汚かったと思う。で、そいつは話すときに語尾がちょっと半笑いみたいになるんですね、それを小馬鹿にしてるって捉えてた人もいたと思うけど、僕には照れから来てたんだろうなとその当時から感じていました。しかもちょっとどもるっていうか、単語や文節で切ったような喋り方をするわけですよ。

 確か部屋では座りもせんと、そいつが「俺十枚くらいしかCD持ってないんよ」とか言いながら出して来た中で一枚だけジャズじゃないアルバムがあって、
「あ、これオアシス?」
「知ってる?超良いよ」
「オアシスあんま聞いたことないや」
「貸すよ」
「いいの?ありがとう」
「でね、このDon't Look Back In Anger って曲が俺の思い出の曲でね」
「なんなん」
「地元いたときに彼女にフラれてさ、その時にめっちゃ聴いてた」
「へぇ」

 その後も一緒にセッションしたり休憩所で話したりしたはずなんだけど、どうも彼との記憶はそこで断ち切れているんです。夏休み明けたらもう見なかったしね。そして、借りたままのモーニンググローリーのジャケットをCDラックで目にするたびに、なんとなく彼のことを思い出そうとしてしまうんです。


 神戸に出てきて初めて出来たガールフレンドとの、初めてのデートは、ロバートキャパの写真展でした。その人がどうしても行きたいと希望したのでした。展示されている写真を見ても僕には全く良さはわからず、ちんぷんかんぷんなまま歩調だけを合わしていたと思う。戦場カメラマンというキャパの人物像やその背景にその人は強く感銘を受けていたみたいで、一枚一枚を戦争の当事者のような深刻な眼差しで見入っていて、そんな姿は見ないほうが良いかなと思いながら、歩調を合わせて回りました。
 そしてなぜか、なぜか、展示の最後に、加山雄三が使用していたというエレキギターが、実際にそれが使われているライブ映像と共に展示されていました。トランぺッターの日野さんとのライブ映像でした。二十歳を少し過ぎたあたりの僕の記憶は、そこで断ち切れているのです。


 ほぼ同時期に、毎週のように出演させてもらっていたジャズのライブハウスがあって、そこで不思議なお客さんと出会いました。んー。ライブ後に話しかけられて、でもどんな話したのかも覚えてないし、その時が初対面だったかってことも分からないんだけど、たぶんそうだった思います。ま、その人がちょっと一杯でもって言ってくれて、テーブル席の向かいに座って話をしました。なんでそんなことを言ったのかわからないけど、
「君の好きそうな作家をちょっと書いたから、で、これを読んだらいいってのも書いといたから」
 といって、メモをくれたんですね。たぶん好きな音楽とかから話し始めて、そういう作家とかの話になっていったんじゃないかなぁ。そのライブハウスまで電車で行ってて、その時間とか、とにかくその時期よく本読んでましたからね。内田百閧ニか町田康とか筒井康隆を結構読んでたんじゃないかなぁ。
 で、そのメモには澁澤龍彦の毒薬の手帖、稲垣足穂の一千一秒物語とか書かれていましたけど、今はもうその二人とその作品しか思い出せんわけです。
 そして少しして、そのライブハウスには行かなくなってしまうんですけど、結局その人と会ったのはその時だけだったんじゃないかなと思いますね。うん。でも本当に存在してた?してる人なんかなぁって、今は思ったりしてんですけどね。どんな顔だったか全然記憶にないわけ。まるで僕に澁澤龍彦と稲垣足穂を教えに現れた幻影っていうか、オアシスのあいつにしても、顔は思い出せるんだけど声色とか、そいつの住んでたマンションの場所とかが虚ろでねぇ、うん。

 記憶の断片や断面をね、その時々に、こう、切り離した別の記憶とくっつけたりして解釈し直してみるんですよ。そうするとね、違った記憶とまでは言わないにしても、やっぱりこう、鮮明さというか解像度というか、焦点の位置みたいなものが違ってくるわけです。それまでとは。どんどん現在の自分にとって都合のいい解釈っていうか、因果っていうか、そういう風に見ていくと楽しいもんですよ。面白いと思います。
 過去進行形ってうのかな。過去を過去として、記憶を記憶としてしまうっていうのはもったいないかなぁと思ったりしてしまいますよね。僕なんかは。
posted by さだおか at 10:50| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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