2016年08月04日

20160804

今週と来週の半分以上は淡路島にいる。そう、昨日までいた。今日四日は神戸にいるが、明日の今頃はまた淡路島だ。


毎年恒例の母校の吹奏楽の演奏会の監督と実家の手伝い。だから、わずか数日だけども二週間が過ぎるまで神戸にいても気分はふわふわして落ち着かない。たった数日でこんなだから、きっと一生上京なんてしない。淡路島や実家まで小一時間の距離圏にいるだろうなと思っている。


一度切った豆苗に水をやって育てていたのに、神戸を離れた四日ほどでしおれてしおれてしょうがない状態と化していた。冷静に考えずとも当たり前だ。日中35度の屋外。人間だって四日間つっ立ってたら何リットルの水分がいるか・・・。


演奏会の監督といっても隅から隅までというわけではなく、主体は生徒であって、彼ら彼女らが絵に描いた演奏会のビジョンに具体性と客観性を持ち込むのが仕事だと思ってやっている。自分としては演出というと言い過ぎだが、そういう視点で全体の流れや構成に関しては積極的にアドバイスしている。演奏内容に関しては基本的にノータッチ。あくまでも監督や演出として関係したいという気持ちが強くてそうしているが、打楽器の連中にだけは時折口うるさく言ってしまう。

演奏会は三部構成で、一部はポップスや軽めの楽曲中心、二部はステージマーチング、三部は吹奏楽曲や重めの楽曲が中心だったが、その年々によって違うが二部は必ずマーチングをしている。しかも選曲から指揮、振り付けやシナリオや照明、スポンサー獲得から印刷物の制作まで全て生徒だけでやっている。大きな金額に関しては先生が大人同士で話をつけているみたいだが、プログラムや衣装その他の経費等のそこまで大きくない金額に関しても生徒が動いている。

僕の主な仕事としては四月か五月に演奏会の内容の大まかな構成をまず打ち合わせ、生徒だけでは出てこないようなアイデアや希望を引っ張り出したり投げかけたりすることから始まる。そしてそれを元に生徒たちが話し合って構成を練ってきたのを台本化したものの細部を詰めるのが六月くらい。で演奏会前の合宿や夏休みの連日の練習風景を見て三次元化した台本をさらに洗練さを加えると同時に、やっている本人たちに意味や役割、仕事や存在意義を説明するつもりで触れ合ってみる。

ここね、「触れ合ってみる」ってのがポイントで、具体的には言いません。全然言いません。ただ、こちらとしては一人対一吹奏楽部という関係性だと思っているんで、それくらいの気合の入ったパワーつーか情熱というか、執念みたいなものを視線やちょっとした助言や練習内容に関して口にたり、動きにしたりするわけです。信じてほしいと願うなら、まずはこっちが全力で信じなきゃなぁという信念で臨むわけです。十代が50人くらいいて、それをグワっと先導したり扇情したり褒めたりたしなめたりするっていうのは体力じゃなく気力しかないと思っています。


まぁそういう風なことを夏はやっていたりするんで、自分の音楽活動は二の次ってわけなじゃないけど、自主的には組もうとしませんね。でも、今年も彼ら彼女らが空調のない教室で汗だくになって、たった一回の演奏会のために練習したりしている様子を見ていて感じるものがありました。何かそれが僕の表現の大河の一滴のような存在になりつつあるのがわかります。それとここ最近の集中的に読書している内容からと繋がるような予感もしていて、こういう活動をしなくては表現の種を見つけたり生やしたりすることが出来ない不器用さに付き合いきれん時もありますが、だからこそオリジナリティなんだろうなと思ったりしています。


今週末の演奏会に向けて今を夢中で過ごしている彼や彼女たちに、いつかまた夏になったら思い出してほしいな、なんてくらいのエゴは胸に抱きつつ滾った胸の内を恥ずかしげもなくさらけ出しています。ドラマーとしてのライブとなんら変わりなく、高校生たちに突き刺さっていってるんですよ。迷惑な話ですよ、ほんと(笑)
posted by さだおか at 09:59| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/440724908

この記事へのトラックバック