2015年04月04日

20150404 REVURE

批評とは(スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること、とgoo辞書に出ている。今までそんなことすら知らずに「批評や批評!神社参って批評じゃ!みたらし団子も批評じゃ!団子チルドレンじゃ!」と四畳半の自室にて胡座をかいて過ごしていたが、今日は少しだけ冷静になってみようと思っていたが、せっかくのお花見頃に雨がつんつるてんと降りやがる・・・。やっぱり・・・批評じゃ、批評!団子もちくわも金正日も批評じゃ!わしゃお稲荷さんかい!ということでいつもの調子で独断と偏見のみで語る。

何がいいかなぁと考えてて、くるりの「THE WORLD IS MINE」に関して書こうと思い、CDラックにあるはずのCDを探したものの見当たらずに諦めた。どこのネズミが持ってったんや!?返してくれ。チーズやるから返してくれ!

で、何がいいかと思案橋・・・。

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松本人志の傑作コントDVD集「VISUALBUM 完成」である。

最初に断言する。
松本は浜田といっしょにやるコントが当然一番面白い。
こればっかりは断言しないと今日は話しが進まないのだ。

時系列は調べるまでもなく定かではないが、一人ごっつ、ごっつ、その他松本が笑いを追求した果てが今の映画監督という姿かとは僕は思わない。あんなもんはヘチマだ。この三枚組の中のコントこそ現代の笑いの最果ての光景だろう。その後の映画や昨今のバラエティ番組での立ち位置や風貌も含め、残響や残像に他ならない。
ダウンタウンに関する書籍は相当な量を読んだが、いまだに互いを語る言葉や想いは結成初期から変わっていない。ついこの間も見た番組でも共演者に「相方さんのことどう思ってる?」みたいな質問に、浜田が「ダウンタウンはこの人(松本)でここまで来たから・・・(略)・・・尊敬している」と話し、「じゃあ松本さんは?」と共演者に振られ「なんとも思ってない(笑)」とボケでごまかして詳しくは語らない松本と、その感じは一貫してダウンタウン的やなぁと見ているこっちが照れてしまいそうになる。だからいつかのガキ使ではわざとダウンタウン二人っきりにして隠しカメラで撮影したりもしたもんだ。二人の間でかわす会話はなくとも医師は疎通しあい、周囲もなんとなく感じ取ってはいたが、齢50歳を超えた二人にだからこそ聞けたりいじれたりする部分なんだろうと思っている。

松本の笑いとは自身が経験した哀しみと寂しさから生み出されている。不条理な設定や状況はあるが、根底にあるのは経験というノンフィクションの流血する(した)傷口からの眼差しだ。それは滑稽であり、酔狂であり、妄想の苦々しさも孕んでいる。だからこの中のコントにもただのおかしい人は一人も出てこない。おかしい人にも道徳心も倫理観も家庭も思想もあれば、そうなった因果も当然あるわけで、コント中の台詞は細かくまでは決められていないだろうが、繰り返し行われただろう打ち合わせとリハーサルで松本を中心とした制作スタッフと出演者全員に登場人物の人格とそれを形成するすべての部分が出来上がっていったことだろうと思う。当然それは即興とは違う。しかし役に入る前の自分とその役との間みたいなところに重心を置いて演じているようにも見えるから、即興の要素である反射や思いつきの部分でも動いているから不思議だ。

松本が浜田以外とやっているコントはまるで人間と目覚まし時計が格闘しているようで一方的というか圧倒的なのだが、ダウンタウンの二人でやるコントは人間同士の会話で成り立っている。貫禄の違いか、コンビという関係性との違いか。
ガキ使のフリートークでもそれが即興なのか手癖なのかわからない。あれはコントの発端であり、限りなく簡略化
された戯曲のようにも思える。あの真ん中にマイクが立てば漫才で、衣装や背景が変わればコントということになるのかね。不思議。

僕が好きなのは「ミックス」で夫婦役のダウンタウンがクソしょうもない下ネタを血管切れそうなくらいの大声で延々言い合うシーンである。ダウンタウンかくあるべし!下品であってもそこには愛がある。それがダウンタウンのアイデンティティーなのだろう。

一方の映画ではその愛やその質感をあえて避けている感すらあるのでは?と全作品見ていないお前が言うなと俺の中の俺が言っているので今日はここまで。

posted by さだおか at 02:55| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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