2015年02月03日

REVURE 声

批評はいつだって風に聴けば良い、全部を教えてくれるから。なんてディランみたいなこと言ってないで、今日も今日とて批評だぜ。

SUGAR BABE「SONGS」
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たった30秒で聴いた人の顔を緩めるような音楽は他にはない。その30秒さえあればいい。その日の出来事を思い返すのも辛い日にも、これまでの人生を振り返り後悔や辛酸を呑む日にも、その30秒さえあれば体は軽くなり、気持ちは晴れる。音楽の魔力とはそのメロディ、そのリズムを聴く度に初めて聴いた時の匂い、感触、情感を自分でも忘れてしまっていた記憶や体温を一瞬で心から引きずり出すことだろう。ゆえに一生聴かないという人もいるだろうが、それとて音楽を深く愛するが故、音楽を信じるが故のことだろう。

歌にとって声はすべてだ。歌詞なんて何でもいいというと乱暴だが、オノマトペでも適当なハミングでも声がすべてだろう。歌詞がいくらその情景を隅々まで具体的に描写していても、その声が情景の輪郭をなぞれなければどうぞ歌わなくて結構。歌詞を歌うのではない。歌が、声が歌詞を立体的に浮き立たせるのだ。そう、説明ではなく表現だから。

すてきなメロディーを聴く為だけにこのCDは手放さない。ネットをチョコチョンと探せば音はあるかもしれないが、山積みのCDからこのアルバムのジャケットを想像しながら探し当て、何の絵やねんと思いながらケースからCDを取り出し、一曲目は飛ばして先に二曲目のイントロで踊る。二番を待てずに大貫妙子の声が聴きたくて6曲目を聴いて想像を膨らませる。

カーテンを開けると窓が曇っている。部屋一杯に二人の匂い。彼女はその格好のまま立ち上がり、彼女の目の高さ辺りの窓を人差し指でなぞる。曇天の三階から見下ろす駐車場には何カ月も持ち主を待ち続ける自転車がある。今日もあるねと横顔が言う。外から丸見えだよと言っても横顔は動かない。急にお腹空いたと言って
クシャクシャの服を体に馴染ませるように、まるでその姿が自分の本来の姿かのように一枚一枚着る度に表情が体温を伴っていく。僕は不自然なほど不自然で彼女は不自然なほど自然だった。町はいつも通り喧噪のままに二人を受け入れてくれた。今日は今まで入ったことない居酒屋に行ってみようと思う。


膨らんだイメージに体を預けると居心地が良すぎる。それをクッと現実に戻してくれるのは次のすてきなメロディーだ。気持ち甘美なまま、眼差しは夢を外れて今を見ているがその後味が消えるか消えないかの内に曲は終わる。あっという間、2分38秒の魔法。それでお腹一杯。おかわりは要らない。そしてまたCDの地層に紛れていく。

音楽は無理やりにでも記憶と妄想を引っ張り出してくる。それが怖くもあるし楽しくもある。言ってみれば畏怖、それを感じなくなったら僕は音楽を聴くことも演奏することも辞めると思う。
posted by さだおか at 14:47| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | REVURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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