2016年10月25日

天狗の鼻は二度折れる 本文公開5終

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 嘘みたいに長い時間を俺はここで眠って過ごしていたみたいだ。見た事もない鳥が空を飛び。見た事もない植物が森を構成している。寝転がったままいたからだろう、体が一切動かない。それでも眼球の動く範囲の世界をどうにかとらえようと頑張ったが、ごく短い時間ですらひどく疲れ、諦め、昼と夜とが同居する空を見上げていた。
 眠っている頃に見たあの夢は、本当に夢だったのだろうか。あの長い夢は、遥か昔の言葉で言うのならば「輪廻」というものだったのかもしれないと、声には出さず、意識の中でその言葉を発した時、涙が流れ出た。
「ここが無間の果てじゃないのか?」
「俺がそれに辿り着く事は出来ないのか?」
「俺は死ぬ事も出来ないのか?」
 後悔、疑問、憤り、羨望、その他人間の持ちうる、あらゆる感情が、その涙の正体だった。その涙が顔を伝い、大地にしずくその時に、空に同居する昼と夜が撹拌を始め、森に棲む様々な生き物が蠢き騒ぎ、変体し、その一切がことごとく虚無を貫き、新世界だったはずの場所は、果ての見えない荒涼とした砂漠となり果てた。そしてようやく、涙は枯れた。それなのに、それなのに、俺は未だに体を動かせず、ただ空を見つめるだけで、ただただ流れる時を弄び続けるだけの自らを顧みる術すらない。例えあったとしても、何かしらの感情が肥大化するだけで、救われるはずの明日の自分を想像する事すら苦々しい。「雨さえ降ってくれれば」と何度思っただろう。歩き続けていた時のような灼熱の日々はないが、漠然とした不安が精神を磨り減らしていた。

 やっと体が動くようになり、周囲の光景を確認すればするほどに、そのありさまとは裏腹に精神が妙に静まりかえっていった。「何もない」そんな現実味のない状況を、一切の不安もなく、ただただ受け入れられる精神を俺はいつしか手に入れていた。「死ぬ事はない、出来ない」とあの時に想ったからだろう。大袈裟に言うのなら、死ぬ事がない以上、生きるしかない。いや、生き続けるしかない。しかし、「死」という一つの終わりがない以上、生きるという事の実感も、その生命が有する時間や、それ自体に執着する事もないと断言できる。かといって、一切の事がどうでもいいと自棄になる事もない。いや、そんな感情は何度となく取り出しては仕舞う事を繰り返している内に意味は磨耗し、ただの癖になってしまう。

今日は何かしたか?
昨日は何があったのか?
明日は何をすべきなのか?

 そんな事はもう、どうでも良い。俺は生きている。それだけで十分だ。いや、もしかしたら俺は生きていないのかもしれない。俺以外の誰かの記憶や妄想の中の存在でしかないかもしれない。しかし、俺には目の前の世界が広がっている。例え、そこに自分以外の何物も存在していなくても、俺には目の前の世界が確かにある。俺には俺の目に映るだけが全てなのだ。ようやく今そう思えるようになれた。歩き続けていた頃には、辿り着く場所もあてもないままに足を動かし続けていたあの時も今も、俺のいる世界は実は何一つ変わっていないのかもしれない。俺の容姿風貌が人から天狗に変わろうとも、また天狗から人に変わろうとも、俺が立つ世界にとっては、何一つの変化でも何でもないのだろう。
もう何年も何十年も何も口にしていない。最後に感じた空腹を満たしたのは、水溜りの水と泥だった。それも遥か昔。今の俺の体を流れる血は何で出来ているのだろう?そんな事をふと思った時に、喉が急に渇き、空腹を感じた。堪らず足元の砂を掴み、飲み込んだが直ぐに体から流れ出た。空しい感触だった。流す涙や、揺れる心だけでなく、体を構成する為の何かすら必要でない事が分かった。だからこそ、あの泥水の味をまた味わいたい。人間だった俺と、天狗になった俺とを繋ぎたいと思ったと同時に俺の手は鼻をへし折ってもぎ取り、砂に埋めていた。特に意図があったわけではないが、反射的にそんな事をしていた。雨が降り、水が溜まり、そこで手にした蓮根を、また砂に埋める事でそこにまた水溜りが出来るような気がした。別に祈れば報われるとは全く思わないが、そうせずにはいられなかった。そして、数千年という想像も出来ない長い時間が過ぎていった。

真っ暗な道を、出来れば真っ直ぐ歩きたい。でも、勘だけではそうはいかない。明かりで照らさなければ、足元もろくに見えないのに、何とか自力で歩もうとするが、恐怖と不安で全く足が前に出ない。仕方がないので心の中の欲という欲を燃やし、提灯の代わりにでもして行こうと思う。それでも真っ直ぐ歩く自信はない。さらに欲を燃やし、提灯ををひと回りもふた回りも大きくしてみる。明かりは強くなり、道も遠くまで見えるようになった。しかし、まだ、もっと、遠くまで見たいと思う。さらに欲を燃やす。さらに視界は広がる。それでも、まだ・・・。
 恐怖や不安を拭う為ではない。「余裕が欲しい」とでも言えば良いのか、今の現状に不満があるわけでもないのに、そんな事を繰り返し、自分が今立っている世界全てを知ったような気にならなければ、自分がただ立っている事すら見失ってしまう。そして、燃やし続ける欲もとめどなく溢れて来る。求めれば求めるほど、望めば望むほど、露骨に、大胆に、狡猾に、剥き出しの生命から滴る血が尽き果てるまで、肥大し、身を滅ぼす。何かと比べたり、理想を想い描いたり、これからの行く末を案じたりと、それらが全て欲の餌になる。自分の可能性を想像する尽きない欲こそが、自らの未来を屠るといっても良いだろう。それを知りつつ私は、欲を燃やし続け、まだ一歩も足を進めずにここに立ち尽くしている。
 静寂に耳を澄まし、逆流する生命の確信を疑い、風塵と化した一切を目を瞑る事で忘却し、呼吸する余白を泥と灰で塗りたくる。網膜、脳みそ、骨、足の裏の皮膚、今を感じる全ての機能よ、我を忘れよ。そしてまた会おう、輪廻を外れた恒久の命がたゆたい、纏綿し続けるのならば。

posted by さだおか at 16:41| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

天狗の鼻は二度折れる 文章公開4

あと二回です。










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 長い長い時間の果てに、俺が寝転がっていた場所は、何度も何度も雨が降っては溜まり、降っては溜まりした、雨水で出来た池の底になっていた。その間も蓮根の花は幾度となく咲き、同じ数だけ枯れた。その池にもまた幾度となく生命は生まれ、育ち、そして死んでいった。様々な生命がそれぞれに機能しつつ巡っていく様子を、底に沈んだ俺だけがその輪廻の外で、その一切を眺めていた。 
 何度生まれ変わろうとも、その生命の本質は決して変わらない。そしていずれも純粋な欲望だけを使命に自らの生命を謳歌する。例えその時間が短くても、春に生まれたものは夏を楽しみ、秋には憂い、冬のころには慈しみを憶え、二度目の春に命を味わい尽くし、死ぬ。そして夏にまた新しく生まれ変わる。そうして四季に生まれ、四季に死んでいく。俺は自分が生まれた季節も知らなければ、当然死に行く季節も、知らない。俺にはその四季すらないのかもしれない。
 今の俺には昼も夜もない。歩くしかなかった頃の俺にすらあったものも今はもうない。あの空白のような日々以上に空白の日々は、俺が真理に触れる事すら許さず、ただの生命の澱だったという事を受け入れる為だけの場所だったのかもしれない。自らの手によって、無限地獄の門を壊し、二度とは帰ることが出来ない。いや、最初から帰る場所も、そこで帰りを持ってくれている人もいない。存在しない。絶対的な概念も蓮根の穴から漏れた気泡の一つとなって水に溶け、それを呼吸し取り込んだたあらゆる生命が俺の概念を抱き、生きた。俺が俺を捕食し、そしてその俺が朽ち果て、その養分にまた俺が集まり、またその集まった俺を俺が餌として捕食する。唯一の実体である俺は、ずっと、底で目を瞑り、無間の果てを待っている。
その池に咲いた蓮の花の上に座る者だけは、俺の概念ではなく、まるで自らが真理の一部である様な顔をして座っている。しかしその者も永劫の果てに経典に帰っていった。
 その者が経典に帰ってからというもの、全く雨が降らなくなってしまった。それどころか、夜すら来なくなってしまった。ずっと明るいまま、気が遠くなるような時間が過ぎたと思う。ある時、急に真っ暗で、冷たい、夜とも闇とも呼べない不穏な時間が流れ、それから一向に明るさを取り戻す様子もない。その繰り返しが何度かあって、あの真っ暗な時間の記憶も焦がす程の灼熱の日々が続いた。対岸の見えない海のように巨大な池が、陽炎の彼方から日に日に対岸が現れてきていた。池に棲み付く鳥や動物も次第に姿が消え、その池の中で育まれた無数の生命も次々と息絶え、消えた。
 その池だっただろう広大な窪んだ土地の底に、妙に堆積した砂の山が見える。風が吹く度に、ちょっとずつちょっとずつ崩れていったその砂山から、人が、いや、人のような形をした何かが露わになっていった。頭の後ろに手をまわし、両足は膝を立たせ、まるで公園で昼寝をしているような格好で、人の形をした何かが横たわっている。人と確信を持てないのは、顔の辺りに妙に突き出た物があるからで、それがもし何かが顔に突き刺さっている死体だったらと思うと、今以上は近寄りたくないし、見たくもない。ここじゃ何の気配もない。風が鳴り、地面が焼ける音しかしない。いや、そんな音すらも頭の中で、想像しているだけなのかもしれない、と思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
 天狗が、そこにいた。天狗が笑っていた。いや、笑ったようなカオで天狗が眠っていた。恐かったが、もっと見てみたいと思い、一歩近付いた瞬間、天狗が目覚めたような気がした。その瞬間、物凄い地鳴りと同時に自分と天狗だけの空間の四隅が融け始め、一発の烈風が吹き抜け、閉塞した空間を簡単に打ち砕いた。それでも自分と天狗との距離や様子は変わらず。「また想像か」と思った瞬間、天狗がその千里を見通す様な大きな目玉だけを動かしてこちらを睨み付けていた。
「おいおい、何年待たせたら気が済むんや、お前」
 その天狗の声はどこかで聞いた事のあるような声だった。
posted by さだおか at 20:30| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天狗の鼻は二度折れる 文章公開3

昨日一昨日と胃腸風邪に苦しんでしまい文章公開が出来ず、ライブ当日まで近々となってしまいました。講釈垂れずに早速文章公開です!



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使い物にならなくなった眼球をほじくり出し、たった今飲み干したばかりの泥の水溜りに捨てた。その時丁度雨が降り始め、眼球を捨てた水溜りにまた水が溜まり始め、俺はその水溜りに顔を埋めたまま身動き一つせず、雨を浴び続けた。水溜りの底の泥に俺はまだ顔を浸けたまま、体全体が水の中に入ってしまう程に水たまりは大きくなっていった。苦しくはない。また同時にその様子を空の上から俯瞰で見下ろす俺もいた。いや、正しくはそういった情景が思い浮かんだだけかもしれない。その空から見下ろす俺の顔はひどく赤く、背中にはカラスのように黒光りする羽が生えていた。その俺は飛んでいるのではなく、浮かんでいるといったその様子で、水溜りに浸かる俺は面白がった。第一、空に居る俺と今の底に居る俺とは全く姿形が違っているものの、「俺」という意識下に於いて完全に同じだった。「だから苦しくないのか」と妙な納得の仕方をして、その状態を楽しんでいた。
「いつまでそうやっとるんや、お前。とうに死んで、水も泥も食わんで済むのに、一体何をしょんのや」
聞こえたというよりも頭の中で響いたといった感じだろうか。では俺もお前に応えてやろう。

「何で空に浮いとんのや。お前のその赤い顔も何や。その妙に長い鼻も何様や。俺がさっき捨てた眼球を何でお前が付けとるんや」

「お前の目は何にも見えんな。一里も見えんのは可哀想やから、俺の目となって千里先の赤子の足の爪まで見えるようにしてやっとんのや。ほら」
 と言われた瞬間、泥に顔を埋めたままの俺に赤ん坊の足の爪が見えた。
「赤いの、お前は神さんか何かか」
「おいおい、俺を神なんぞと勘違いするなよ」
 笑ったような、怒ったような表情で真っ赤な俺は水の底の俺を諌めた。
「おい、そこに丁度蓮根が埋まっとるからそれ持って上がって来い」
 指先に触れる何かを掴み、顔を上げた。
 そこには泥の池もなく、雨も降った跡はなく、空に浮かんだ俺もいない。ただ、ちょうど腕の長さと同じ位の蓮根が右手に握られていた。あの時間は何だったのだ?あいつは何だったんだ?どうして会話が出来たんだ?第一、目は焼けて見えないはずなのに見えている。耳も潰したはずなのに音が聞こえる。しかし鼻はきかないままだった。背中に羽が生えているような気がして蓮根で背中を掻いたが何も引っ掛かる物はなかった。手に持った蓮根の穴から「早くその蓮根を鼻があった場所にあててみろ、あほが」とさっきの真っ赤な俺の声が聞こえたので言うとおりにしてみた。


 ポン。ポン。ポン。ガヤガヤ。ヤンヤヤンヤ。


 俺の鼻に刺した蓮根から花が咲き。そこで花見をしようとたくさんの人間が酒や食べ物を携えてやって来た。ある者は俺の唇で踊り、ある者は俺の眉に小便を垂れ、ある者は俺の頬で夜這いをしたりと、まる一晩そこで花見をして騒ぎに騒いだ。鬱陶しく、人が動く度に顔も痒いので、いっその事その蓮根の花さえなければそいつらも帰るだろうと思い、その花を摘もうと手を伸ばしたが全く届かない。不思議と全く届かない。花はおろか顔にすら手が届かない。何度やっても届かない。億劫になり諦めて眠ろうと横になったものの、その乱痴気騒ぎは一晩では済まず、何日も昼夜関係なく騒ぎ散らかし歌い踊った、一向に終わる気配はなく、おかげで俺は何日も眠れずに過ごした。何日も何日も俺の顔の上で歌い踊り酔っ払う人々の顔は、まるで天狗のように真っ赤だった。俺は諦め、空を見上げ、目を瞑った。







今夜にでも4を、明日には最終5を公開いたします。
posted by さだおか at 10:02| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

天狗の鼻は二度折れる 本文公開2

昨日公開したのは今回の再演用に書き下ろした「DANMEN」でした。

四年経ってみてどうも天狗だけでは意味が立ちすぎていると感じ、もう少し焦点をぼやかしたい、視点を少しずらしたいと思い書きました。文体も口語体を心掛けて語り下ろし風にしてみました。ライブでそういう風に読み直すことはあっても、台本やテキストの段階でそう書いたのは初めてかな。

今日からは天狗の鼻は二度折れるを公開していきます。全5回くらいを予定。では、予習不要の方はお帰り下さいー(笑)


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「天狗の鼻は二度折れる」 

 何日も何日も歩き続けた。一日二日三日、一週間、十日、二週間とまでは数えたが、それ以降、明るければ昼、暗くなれば夜という以外に判然としないまま俺は、何日も何日も歩き続けた。


喉が渇き、腹も減った。何も口にせず歩き続けた挙句に、もう泥水を飲むしかない。地面に溜まったそれを前に、手で掬うなんて考えもせず、犬の様に地面に這いつくばり、その水溜りの上澄みを直接口で飲んで凌いだ。それでもまた歩き続ければ、いずれはまた喉が渇き、腹も減る。その都度目の前に必ず現れる水溜りを、泥だけが残るまで飲み干した。雨は何日も降っていないのに、どうして水溜まりが出来るのか、そしてどうして俺が望んだ時に現れるのか。あの時はそんな事を気にせず、何も考えずに泥水を飲んだ。
人間らしさなんて物は地べたに手を付き泥水を口にした時に放棄した。生きるという生命の前提のような、そんな凡庸な情熱さえ、歩き続ける内に磨り減り、明日にはもう消え失せるのだろう。それでもまた一歩、また一歩と、足を前に出す度に繰り返す自問自答は空転するだけだった。何を期待するわけではないが、せめて何故こんなになってまで歩き続けているのか、それすらも分からず、毎日夜を迎えては目を瞑り、体を休め、明るくなればまた歩くという事を繰り返していた。
ある夜から毎晩暗闇に文字が浮かぶようになった。そこにある文字や言葉は自らの祈りのようであり、またそれがあてがわれたこの刑罰のような日々の意味や切実さをあらわしているようだった。
「生きなければならない」
「生きる」
「生きたい」
「生き切る」
「生きるしかない」
「ただ生きる」
「死ぬまで生きる」
「死ぬまでは生きる」
「生きてみたい」
「生きていると信じたい」
俺は、こんな畜生みたいな風貌になるまでは生きるという意味を考えることもしなかった。でもそんな純粋で単純な欲望こそ簡単には棄て切れず、今や一握の砂ほどになった自我さえも、雨風に曝す事で掠れ、いずれはその「己」という概念も吹き去って行った風の残響のようになり、まるで一瞬で拭い去られる汗のにおいほどの重みでしかなくなっていた。
唯一、体が自然と覚えていたのは、疲れれば休み、それが癒えればまた歩き出す事くらいで、「動かない事」と「動けない事」の差異に怯える事も、もうない。
ただ、そうやって動く事を止めた時に何かが終わるという事は分かっていたのだろう。何処をどう歩いているのかも定かではない。目は日中の陽で焼け、視界は真っ白になり、耳は鳴り止まない耳鳴りと微かな音にも恐怖する事にも草臥れたので突き潰し、最後に血生臭い獣の存在に恐怖する事のないよう鼻を石で叩き潰した。その時は痛みもまともに感じる事はなかった。それでも微かに感じた痛みのようなものは、傷付いた肉体にではく、自らを傷付けたという後悔のような気分のものだった。しかしそれでしか確認の出来ない自分の生命の在りかが、泥の水溜りに浮かんでいるように思っていた。
もう地面に俺の足の裏は着いてはいない。しかしそれでもまた一歩また一歩と足を動かしていた。いや、実際はそう動いていると想像していただけなのだろうが、確証はない。体を流れる血や流れ出る汗は泥水になり、肉は砂と同じく乾き軽くなった。歩き続けた俺は、肉体、精神が朽ち果て、概念の中でのみ意識を保っているみたいだった。流転する空白にまさしく俺はいた。そこには俺以外の存在はなかった。俺以外、完全に真っ白の世界で俺は、畜生どもよりも醜くなり、地獄よりも長く苦しみ、果てのない無間の時の終わりを待ち続けるのだった。
posted by さだおか at 11:16| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月20日

天狗の鼻は二度折れる 文章公開1

「天狗の鼻は二度折れる」で使う文章の公開第一弾です。予習不要という方はここまで。



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断面
 
 専門学校入ってすぐ、すぐといっても、二か月か三か月くらい、その時にふとしたことから仲が良くなったピアノ科の男がいました。仲が良かったといっても、その男が少し孤独すぎただけなんだけど。当時の僕自身もそうだったけど、地方から出てきて、さらに腕に自信があるというやつは一様に自信過剰の気があって、また自分の好きな音楽以外に感動的なくらい排他的だったりしたからですけどね。僕も酷かったけど、彼はもっと酷かったんですよ。
 そいつはビルエバンスの枯葉はかなり本物っぽく弾けたりしたんだけど、それ以外の、もうビルエバンスがやってない曲となると、もうやる気も糞もなくて、それに対してあぁだこうだ言う親切は正義だ!みたいな顔して「そんなんじゃこれから人と一緒に出来ないよ」なんて言うやつが多くてね、同級生でも年上のドラム科の人が「定岡君もジャズしかしないんだったら合うんじゃない?」みたいに紹介されてね、まぁ何だかんだで二人だけでセッションしたりして、仲良くなっていったんですよ。
 そんで、ある日一緒に帰ってたら「ちょっと寄ってく?」と聞かれたので家に行ったんですけどね。そういえばこのときが神戸に来て初めて友人の家に入ったんだったかな?ま、そういうことは本題じゃないんだけど、部屋は一人暮らしの男って感じでとても汚かったと思う。で、そいつは話すときに語尾がちょっと半笑いみたいになるんですね、それを小馬鹿にしてるって捉えてた人もいたと思うけど、僕には照れから来てたんだろうなとその当時から感じていました。しかもちょっとどもるっていうか、単語や文節で切ったような喋り方をするわけですよ。

 確か部屋では座りもせんと、そいつが「俺十枚くらいしかCD持ってないんよ」とか言いながら出して来た中で一枚だけジャズじゃないアルバムがあって、
「あ、これオアシス?」
「知ってる?超良いよ」
「オアシスあんま聞いたことないや」
「貸すよ」
「いいの?ありがとう」
「でね、このDon't Look Back In Anger って曲が俺の思い出の曲でね」
「なんなん」
「地元いたときに彼女にフラれてさ、その時にめっちゃ聴いてた」
「へぇ」

 その後も一緒にセッションしたり休憩所で話したりしたはずなんだけど、どうも彼との記憶はそこで断ち切れているんです。夏休み明けたらもう見なかったしね。そして、借りたままのモーニンググローリーのジャケットをCDラックで目にするたびに、なんとなく彼のことを思い出そうとしてしまうんです。


 神戸に出てきて初めて出来たガールフレンドとの、初めてのデートは、ロバートキャパの写真展でした。その人がどうしても行きたいと希望したのでした。展示されている写真を見ても僕には全く良さはわからず、ちんぷんかんぷんなまま歩調だけを合わしていたと思う。戦場カメラマンというキャパの人物像やその背景にその人は強く感銘を受けていたみたいで、一枚一枚を戦争の当事者のような深刻な眼差しで見入っていて、そんな姿は見ないほうが良いかなと思いながら、歩調を合わせて回りました。
 そしてなぜか、なぜか、展示の最後に、加山雄三が使用していたというエレキギターが、実際にそれが使われているライブ映像と共に展示されていました。トランぺッターの日野さんとのライブ映像でした。二十歳を少し過ぎたあたりの僕の記憶は、そこで断ち切れているのです。


 ほぼ同時期に、毎週のように出演させてもらっていたジャズのライブハウスがあって、そこで不思議なお客さんと出会いました。んー。ライブ後に話しかけられて、でもどんな話したのかも覚えてないし、その時が初対面だったかってことも分からないんだけど、たぶんそうだった思います。ま、その人がちょっと一杯でもって言ってくれて、テーブル席の向かいに座って話をしました。なんでそんなことを言ったのかわからないけど、
「君の好きそうな作家をちょっと書いたから、で、これを読んだらいいってのも書いといたから」
 といって、メモをくれたんですね。たぶん好きな音楽とかから話し始めて、そういう作家とかの話になっていったんじゃないかなぁ。そのライブハウスまで電車で行ってて、その時間とか、とにかくその時期よく本読んでましたからね。内田百閧ニか町田康とか筒井康隆を結構読んでたんじゃないかなぁ。
 で、そのメモには澁澤龍彦の毒薬の手帖、稲垣足穂の一千一秒物語とか書かれていましたけど、今はもうその二人とその作品しか思い出せんわけです。
 そして少しして、そのライブハウスには行かなくなってしまうんですけど、結局その人と会ったのはその時だけだったんじゃないかなと思いますね。うん。でも本当に存在してた?してる人なんかなぁって、今は思ったりしてんですけどね。どんな顔だったか全然記憶にないわけ。まるで僕に澁澤龍彦と稲垣足穂を教えに現れた幻影っていうか、オアシスのあいつにしても、顔は思い出せるんだけど声色とか、そいつの住んでたマンションの場所とかが虚ろでねぇ、うん。

 記憶の断片や断面をね、その時々に、こう、切り離した別の記憶とくっつけたりして解釈し直してみるんですよ。そうするとね、違った記憶とまでは言わないにしても、やっぱりこう、鮮明さというか解像度というか、焦点の位置みたいなものが違ってくるわけです。それまでとは。どんどん現在の自分にとって都合のいい解釈っていうか、因果っていうか、そういう風に見ていくと楽しいもんですよ。面白いと思います。
 過去進行形ってうのかな。過去を過去として、記憶を記憶としてしまうっていうのはもったいないかなぁと思ったりしてしまいますよね。僕なんかは。
posted by さだおか at 10:50| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20161020 神戸オールウェイズ経て

先日の神戸ALWAYSでのライブにお越しいただいた皆さまありがとうございました。畠山さんと一緒にやると、まだまだ自分の狂気性なんてものは子豚ちゃんくらいなもんなんだなぁと自覚せずにはいられません。即興とスタンダードの間っていう僕の意図がバンドもやってくれている二人ですので、疎通する部分もあれば、容赦なく遮断するところもあったりとツーと言えばカーみたいな感じで感慨深かったです。


セットリストです。

1st set
・sokkyo
・my one and only love
・I thought about you
・月の映画館(作曲:日吉直行)


2nd set
・barbados
・body and soul
・the sea(作曲:白石栄利)
・our love is here to stay


日吉君の月の映画館はコードレスでやったの初めてでしたが、僕には今までで一番曲の輪郭というか情感のようなものが掴めたような気がします。作曲者の日吉君とは共演したこともなければ、本人が演奏しているこの曲を聴いたことがないのですが・・・(笑)

白石さんのオリジナル曲も以前からやらせてもらっていましたが、それとて数年前に使用許可を取っただけで人伝いの上に永年契約ではなかったので先日一緒になったときに確認を改めてしたら意外にもすごく喜んでくれまして「もう一曲ありますよー」ということで早速やった次第です。とはいえこちらも本人とやったこともなければ演奏しているところも見たことがないのでリハーサルで曲の感触を確かめましたが、すごい曲でしたね。未見では手に負えない感じビンビンでした。本番でも霧散しとらんかと不安でしたが、そうやって揉んで揉んで曲は体に入っていくんだとこれからもやっていこうと思います。





そして今日は10月27日@天昇堂での「天狗の鼻は二度折れる」の来場者用テキストを印刷してきました。限定10部です。当日朗読に使う文章の全文と僕と野津の一言をまとめています。面白いライブだと思いますので是非お越しください。

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そしてそして、ドラマーでしかない僕が朗読ライブをするということで得体の知れなさが底知れないと思うので、どういった内容の文章を使うのかを先に公開して告知としようと思います。来られる方で予習なしでと望まれる方は今日から五日分のブログは本番が終わるまでは無視された方が良いかと思います(笑)

DANMENと天狗の鼻は二度折れるという文章を公開していきますが、長い上に元は縦書きで書いているので多少読みにくい個所もあるとは思いますが、あくまでもライブの告知と予習用ということなので悪しからず。

では早速次の投稿からDANMENを公開していきます!
posted by さだおか at 10:39| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月14日

20161014

久しぶりの更新です。入院してたわけでもなく、鬱々としていたわけでもありません。でも少しは鬱々としていたか。この間も実家に帰ったりウロウロしたりしていて、今月後半の自主企画に向けて内容を考えたりしている内に迷路みたいなものに入り込んじゃったんでしょうね。精神的に。特に天狗ライブで配布するテキストに関して光明が見えないということが精神の引っかかりになっていますね。内容に関しては出来上がってるんだけど、隅々までは完成していないっていうのが悶々としてるんでしょうね。

今日は新開地のボートピアに払い戻し(840円)をしに行ったついでにカメラを持ってうろうろしました。自転車では行動距離は圧倒的だけど、見るっていうことに於いては全然駄目ですね。視界が定着する時間すら待っていられないっていうか、移動移動っていうふうに思考が働くのか、見るまではいきませんね。でもその分反射的には撮れたりはするんだけど、その画に対する是非の判断はすこぶる鈍くなってしまうっていう感じでした。

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こうやって撮ってみると、僕にとって元町三ノ宮っていうのは阪神高速が象徴なのかもしれないなと思いました。淡路島からも車でも高速バスでずっと走ってきたわけだし、二号線の上を走る曲線がとってもセクシーでね。
posted by さだおか at 18:08| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

20161007 今日はポチでライブ。

本日はこちら!

10月7日(金)明石POCHI CYNDIカルテット
CYNDI vo 高橋俊男pf 泉正浩ba 定岡弘将ds
1st 19:30 2nd 20:40 3rd 21:50
¥2,600
http://www.pochi-live.com/ [http://www.pochi-live.com/&h=iaqg-z5rlaqemm2hib5xmesyber2ot9jhthtedvb_effrqg&enc=azmswqprbmmqqbjyvoxttwtacexkie6oz4ng86w7vjvyaww-imvakpcubqj6e6_lkudxlkjodfw74admayf-jv0zuplnnyox0jtjn0ick08jjmfvrp1nrozic39ynhhlrc9hmxg3adp9wolarp9ui62_ua2bqqrgwtyrlv-y6eresrkj5wso3zdi-g3ez1ba8xskr-sf9hf9kgqpbqsvfic2&s=1_green]

3rdセットはセッションタイムもありますので、ライブを見るだけじゃなく一緒に楽しみましょうー。

先週のアマソニックのオオトリもやらせてもらったユニットです。ぜひお越しくださいねー。

で、明日からは淡路島でGR。いや、本当は吹奏楽部のOB会が40周年とかで演奏会をするんでそれに参加するのがメインなんですが、初見大会になるとかなんで、一応はプロの意地や矜持がある以上は読めない譜面だった場合には高橋さんの教え通りフーッと息を吹きかけて譜面が風で飛んだアクシデントを演出して逃げる予定です。

だいぶと上のOBOGさんらも来るそうで、学生当時苦手嫌いだった連中も来るのかと思うと多少気が重いが、あの当時僕に殺意のある目で睨まれていた当の本人たちは僕以上に絡みにくさを感じるんだろうか。

終わってからは打ち上げがあるそうだが、同期と話すことはないだろうから、今はもう横浜に行った後輩のFの主に失恋の恋愛話を聞くのが楽しみでしかたがない。大勢の食事会や飲み会となると最初の席でその二時間や三時間のすべてが決まるといっても過言ではあるまい。

とはいえ諸々楽しみだ。まずは今夜明石ポチで待っております!
posted by さだおか at 09:44| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする