2012年05月21日

20120521

昨日は藤ジャズスクールコンサートでサポート演奏し、起床時間が早かったので打ち上げで三杯しか呑んどらんのに、京の都で酩酊し、寝過ごし乗り過ごしの緊張感がある電車での帰り道だった。そして酔った時の癖で最寄り駅よりも早く下車し、阪急沿いの住宅街を徒歩で鼻歌交じりに歩いて帰った。

こんな時ほど妙に頭が冴えて、アイデアが浮かんだり、考えてた事が整理されたりする。昨日は一年以上前から浅井に「『朱鷺』に歌詞付けて」と頼まれていたのだが、実際何度も書こうと試みたものの、文字数が制限されても内容には普段の逍遥のままに書いた散文や詩のような質感やイメージを提供したいと思ってしまい書けずにいた。それでも四月半ば位に「今なら書けるかもな」と思い、丁度この前の新開地音楽祭の打ち上げの席でも「書いてや〜」と作曲者自身がまだ忘れ、おっと諦めてなかった事もあり、昨夜の帰り道に少し考えてみた。が、曲の冒頭のタララタララ〜以外のメロディを憶えてなかったのだった・・・。

一昨日、天満バンブークラブに影山朋子さんのライブに行って来た。ピアノを弾いたり歌ったり、即興で繋いだりと、オリジナル楽曲も素敵でした。7月にDUOをする時のイメージになればと思い出掛けて入ったが、想像以上の内容に集中して聴けましたな。そしてあの日は呑み過ぎましたな。

先日トラで行った演奏先で、共演者の人に「普段は何処でどんな人とどんな音楽をやってるんですか?」と聞かれ「あんまり演奏はしてません。即興が多いです」みたいな事を返答したら、即興に対する想像や経験が絶望的な答えが返ってきた。真面目に丁寧に解説、説明しようと思えば幾らでもするが、初対面の人にそこまでする事は逆に態度悪いなと思い、「まぁ即興にもジャズみたいに色々あるんです」と会話を締めた。

即興演奏はその人の思想や美学がなければならない。その点で言えば、先日の影山さんのライブの即興演奏に関しては物足りなさも感じたが、それは僕のそれとは違っていただけなのか、演奏者があまりそういった事を考えていなかったのかどうか分からないが、即興演奏で聴き手を感動や夢中にするには不屈の精神とも呼べるような情熱情念が要るんだろうな。僕がそれを見て感動したライブは数少ない。でもそれは即興だろうが、ジャズだろうが、ロックだろうが、何でも一緒。その点で音楽のある状態は即興もジャズも同じだというDUOをやっている藪下学の発言に頷く時もあるが、やっぱり違うとも思ったりする。でもそんな事が誰かの何かの問題になるのかなぁ?とも思う。今度ゆっくり話してみよう。

今日の金環日食は世間の妙な盛り上がりに盛り下がってしまい、一度は起きたものの、結局カーテンすら開けずにまた眠った。千年に一度や、次回は何年先とか言ってるが、今日は今日だけですよ、と思いながら今日は一日中眠って過ごしていた。少し後悔もしたが、昨日の疲れや反動だろうと思い甘んじて過ごした。もう、初夏やね。

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2012年05月19日

金曜の真夜中は燃えている

今日は専門学校時代の友人のトラで甲子園口で演奏してきた。初めて降りた甲子園口。初出演で初共演で初対面。久し振りの状況で、トラの連絡が来た時から興奮と緊張で胸が騒いだ。

そして今、帰宅し、ナイトスクープで声を上げて笑っている。もっと興奮し、胸がざわついとる。金曜の深夜はコレだ。

駅からの帰り道、真っ暗な公園のベンチで語り合う若い男女。数少ない街灯の下、4,5人の若い男女がポーズを決めては撮り、笑い。撮っては笑い、ポーズを決めていた。駅前の某ファストフードの店は若者で溢れ返っていた。夏への過剰な期待と焦燥で、精子と卵子が蠢いていた。僕はその様子を一人、離れた場所から微笑ましく、羨ましく、眺めていた。その時聴いていたのがナンバーガールの「ZEGEN VS UNDERCOVER」という曲で。この曲の詩、メロディ共に大好きな場所があるので、その部分の詩を抜粋。作詞は向井秀徳。

おととしの事件を誰も憶えておらんように
オレもまた この風景の中に消えてゆくのだろうか


メロディを聴きたければ、検索するなり何なりして耳にして欲しい。違和感はないが、この不自然なメロディが僕は大好きだ。そして、この曲を聴きながら、たった今さっきまで見詰めていた若者達の風景を思い出し、反芻し、あの時交わした会話も、あの時皆で笑った出来事も、あの時喧嘩した事や思い悩んだ事も、全て「昨日」や「過去」というコトになって、いつかはその情景も「記憶」としてしか語る事が出来ない時が来るのだろうかと想い、気が狂いそうになりながら点滅する信号に半ば意識を奪われつつ歩いていた。

僕だって夏に盛り上がらん事はない。でも、根本的に盛り上がり方が違う。僕は今をあまり楽しもうとはしていないのかもしれない。過去や記憶をその都度想い帰しては涙ぐみ、酩酊し、今の解釈と言葉で語ろうとしている。それだけでは勿体無いように思うが、仕方がない。

今日見たあの駅前の昂る空間を切り裂きたい。あらゆる欲望が蠢くあの空間を、刀の様に、鋼鉄を鍛え抜いて洗練された刀の様な自らの表現と意思や思想、情念で切り裂きたい。自己満足であっても良いから、そういう意志で音楽も言葉も想いも振り回したい。ナンバーガールは世紀末からゼロ年代初頭を間違いなくそういった視点や思想で立ち振る舞っていった。

自らのブッキング以外はやはり苦手だ。リーダーやその組み合わせに目的や主張が事前に分かっていればその為の準備が出来るが、そうでないただのセッションライブは今の僕には無理なんだろう。それはジャズでも即興でも同じ。ってまたこんな事書いたら演奏依頼が来なくなる期間が長くなるんだろうな。

ちょうど今ぐらいの気候が真夜中に軽装で呑みながら歩き続けるのにちょうどいい。明日は無理だが、明後日は京都某所からの帰り道は、ちょうど打ち上げやら何やらで酩酊し、ひと駅前とは言わず西宮から歩いて帰るかもしれん。それも空模様次第。酔い次第。


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2012年05月14日

捨てきれない情

昨日の新開地はどうだったのでしょう?いつも通り、いや、むしろより過剰にやったつもりだったが、どうだったのでしょう?

つか、大友トリオのダンヒルさん良かったね。あの人上手いわ。あんなん出来へんわぁ。ま、ハナからやろうなんざ思ってませんがね(笑)しかし、東京の人より良かったんじゃないかなぁと思いますがね。

個人的な話ですが、三月にONJT@タクタク(字が出ねぇよ)で芳垣さんを見て以来、ドラムの奏法からアンサンブルの感覚やら思う事があり、ちょっとずつではあるが変えたりしてるんです。セッティングやグリップも変えたしね。後はまぁ、前からそうなんだけど「人の音に合わせない。勝手に合うまで待つ。というか同じ曲をやってんだから、勝手にどこかで合うから」というアンサンブルの理念が確固たるものになりましたな。むしろ、サウンドは破壊も破綻も起こして、どんどん創造的な状態に持って行こうという感じです。ですから、普通のジャズバンドじゃもう演奏しててもうるさいだけやし、散漫なだけかもしれませんが、まぁ信念って奴はそう簡単に譲歩出来るものでも刷新出来るものでもないので、まだ数年は経済的にも恵まれない時期は過ごすでしょうな(笑)

調和性というのものがアンサンブルに於ける第一義ではあるとは思うが、それは自らのサウンドを置いといて何某と調和する事を意味するのではなく、自ずと調和するタイミングや機会を逃さずに、自らのサウンドを丁寧且つ大胆に押し進めていく事があった上でのものだと思うから、「音に合わせる」っていうのはアンサンブルじゃなくて反応ですからね。反応なんて芸術でも芸能でもないですよ。ただの生理的衝動であって、そんなものは音楽じゃないと思うね。

今日昼間からずっと6時間位文章書いたり、そういう作業をしてるんだけど、書いたけど消した文章にこういうのがあったのね。

「生きる事と死ぬ事はきっと意味は同じで、本質的にもたいした違いはない。その狭間を丁寧に切り取り、人に対して説明する作業こそが絵画や写真、音楽や小説で表現するという事ではないのだろうか?」

って事を思った。

撮影者と対象となる人や物、街との時間や距離、その関係性が写真だとアラーキーも何かで言ってたな。写真は残ってくけど、音楽なんてのはその逆で、ちょうど私と貴方の距離にはまったりするもんだと思う。まぁ何でも良いんだけどね(笑)

ただ、即興をやる上で勘違いしちゃいけないのが、最上最良音(音楽)って言うのは未来永の劫遥か彼方を常に流れてるわけ。ま、「ある」っていう意味で流れてるって言ってんだけど。それを自称即興演奏者達は自らの理念や信念や音楽観と反応と演奏技術でもって表現してるって思ってるけど、本当はその遥か彼方の音楽の真理みたいなのに精神的にも肉体的にも触れてるだけなんだと思う。ストーンズのキースが言ってたみたいに、結局僕達演奏家っていうのはアンプみたいなもので、それを強い電力や上質の音で鳴らせるかどうかだけ。だから演奏家として優秀な人が今のジャズに山ほど居るけど、そういう意味でアンプとして優秀な人は皆無なんじゃない?僕が知ってるのは生きてるのだと、菊地雅章さんだけだもん。例えば、バドパウエルとかモンクとかパーカーなんてほぼ完璧なアンプでしょ。それは過去だからそう解釈してんじゃなくて、人間の存在意義や本質的な意味合いでそうなってんだと僕は思う。

じゃ、僕自身はどうなのかって事があるけど、そういう理屈や理想はあるけど、結局無理なんだとも思ってる。でも今のジャズのドラムの人と絶対的に違う要素は孕んでるとは思うが、それが花開くかどうかは僕の問題以上に、僕に価値を見出したり、意味を見出す人の問題だと思う。

最近凄く歯痒いのが、「もう25歳の作品は残せない」っていう事なのね。人にはその時、その年齢でしか表現出来んものがあるの、良い悪いは置いといて、絶対あるわけ。例えば僕が60歳になってようやく日の目を見るとして、同じ事を30歳の時からやり始めて、自力で30年間その表現を育み強くしてきたとして、その30年間を目にしてない人達は不幸だと思うし、何よりも見られていない事が不幸だと思う。

昨日の自分達以外の二組のジャズバンドを見てて「そんな何十年前にやり尽くされた事が本当に自分だけの表現だと思ってんの?」「そんなのもっと色んな事やって飽きたらやったらどうなの?」とも正直思った。それに関しては僕の意見の方が変だとも思う。好みの問題だろう。だけど、既にジャズとしてスタイルも理論も確立したものにどう足掻いても新しく自我が芽吹く余地は少ない。それでもそれをやり続ける理由は?やっぱり好きだからとか楽しいからっていう事になると思う。だったら僕は僕が生きてきた中から感じた事や記憶や妄想から音楽を見つけたい。その結果ジャズとかロックとかどう言われても良い。その為に今は即興演奏という前提で音楽をしている。だから、昨日の浅井7もその過程であり、同時に結果なのだ。浅井はその点をもっと自然体に、脱力してやっているように思う。でもそれは人間の違いでしかないと思う。

さ、何人の人がこの文章を読んで想う事があるんでしょうな(笑)ま、批判でも文句でもないし、もっと俺に刮目せよ!って事でもない。ただの独り言。字数無制限一本勝負推敲なしのツイッターとでもう言おうか(笑)
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2012年05月12日

20120512

昨日の夜中(土曜の明け方)に淡路に帰り、諸々の用事を済ませ、早速神戸に戻ってきた。

婆さんが「野菜切っとくから、持って帰ってサラダで食べぇ」と言い残し、カラオケに出掛けていった。母親が肉やらその野菜やらを荷造りしてくれていたので、帰ってきて冷蔵庫にしまう瞬間まで知らなかったのだが、その野菜の量が尋常ではなかった。早く食べなくては駄目になってしまうので、恐らく3日間(今食ってる晩飯含め)はサラダ中心で、米なんぞ食ってる余裕がないという事になってしまった。しかし、小松菜美味いのな。長芋美味いのな。レタス美味いのな。新たま美味いのな。ありがとう、なのな。

で、明日は新開地音楽祭に浅井Septetで出演するのです。
http://www.shinkaichi.or.jp/ongakusai/
出演時間は17:20〜一時間程度です。宜しくどうぞ。

そして、ここ数日で製作したフライヤーを紹介します。

「ラディカルな関係」5月28日、6月4日
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「ラディカルな関係」6月27日、7月15日IMG_0001.jpg

「天狗の鼻は二度折れる」
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写真は全部僕が淡路か神戸で撮ったものを使っています。最近ようやく写真を使った製作の仕方が分かったので、それからは「いずれはCDやらを作る機会があればアートワークも全部自分の作品として表現したい」という想いを胸に抱きながら色々と製作している。無料で配布しているセモ大のDVDも自力(但し写真は加原敏巳さん)で作ったが、まだまだ改良の余地はあるものの、やはりデザインに関しては理屈も理論もない素人ではあるので、「想い」や「情熱」でしか作れないし、作らないように心がけている。

写真に関しては、僕が自分の表現すべき題材の全てである「センチメンタル」と「過剰」が嫌と言うほどに露骨に表れていると思っている。特にフライヤーに使う写真はそれが顕著である事と、題目とのバランスを考えて選んで、手を加えたり加えなかったりしている。

一人で夜の暗い道を車を運転しながら色々と考えるのがとても好きだ。普段行き詰っているような事も違う角度や、斬新なアイデアで突破できたりするし、幾ら独り言いっても空しくならないのが良い。反省も発見もある。ライブの帰り道も車だと真剣十代しゃべり場みたいになる時も多い。でもそんな時間が好きなのだ。

普段は本音は極力言わないようにしている。本音を言うと碌な事がない、それでも互いに一歩進む為に話し合わねばならない時、その人とは二人で車に乗れる関係でなければその時は迎えられないのかもしれない。酒の力で漏らす本音もあるが、そんなもの次の日起きたら忘れていたりするが、そういう空間や時間で交わした想いや言葉はいつまでも引っ掛かり続ける。そういう事をいつまでも大切にしたいと思う。

でわ、また。



posted by さだおか at 23:22| 兵庫 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

汗の匂い

ふと本棚に目を向けた時に、去年読んだ漫画の中で一番面白かった漫画本と目が合った。

真造圭伍著「森山中教習所」

この作家のデビュー作らしい。
確か、大林檎に行く前に立ち寄ったヴィレッジヴァンガードで推されていて買ったはずだ。ライブの内容はあんまり覚えていないが、帰宅し、酔っ払い、これを読み、眠り、空が白む前に目が覚め、横になったままもう一度読み、あまりの面白さに泣いた事は憶えている。

ある大学生の男の子の一夏。教習所。恋。友情。そして松本大洋や黒田硫黄以降の新しい世代の構図とタッチと、コマによる流れと抑揚と絶妙な間。何かねぇ、その全部が夏なんです。

夏ってちょっと思い出というか、独特な残り方をするじゃない?実際の現象が記憶に残るんじゃなくて、その時感じた匂いとか、やけた肌の感覚とか、音楽とか、記憶がより感情的に残ってるっていうのかな。てことは、どんどん捏造されていきやすいって事なんだけど、思い出ってのは常に解釈し直して、毎年書き換えていけば良いと僕は思ってる。

小学校の時とかは雨が降ると妙に嬉しかった。体育館で体育したり、外で遊べないから、図書室とかで遊んだりして、休み時間も教室とか廊下しかないから、また普段と違った遊び方を探したりね。あの時に唯一雨で嫌だったのは体操服が乾かないとか、体育のプールが中止とかそんな位だったように思う。それがある時から天気予報士が「明日は雨ですから気を付けて下さい」っていうのが分かった気がするね。

「転々」だったかシティボーイズのコントだったか忘れたけど、作演出の三木さんが「子供の頃は『遊ぶ金欲しさの犯行』って意味分かんなかったけど、今なら分かるね」っていう台詞を書いていたが、それに近いものがある。

本当はそんなこと分からなくて良いのに、分かったり、分かったつもりでいたりする。本当は「分かった」んじゃなくて、何かに理由を付けて自分がいる社会で存在を確かめたいだけだと思う。正直26歳でこんな事言ってるのは相当青臭いかロマンチストか懐古主義者か哲学者か宗教家か?違うだろ?そんな感覚を一つ一つ思い出したり、確かめたりするかたこそ表現出来るんじゃないかと思う。

美徳は犬の糞と一緒に砂場に埋めておけ。経験は邪魔になるけど、何かって時には役には立つから、保険証と一緒の棚にしまっておけ。理想ってのは足元を掬われやすいもんだから、扱う時は一応注意しといた方が良い。

色々と便利になっていくのが文明の宿命だけど、人間自体の本質は石で動物殴って捕まえていた頃と変わらない。それは忘れちゃいけない。最初に書いた漫画からここまで話が大きくなるとは思ってなかったけど、自分のそんな部分がこうやって書く事で刺激されるのも面白いのだから仕方ない。

喜怒哀楽以外にも無数に感情はある。しかしそれは単に感情と言い切れたり、呼べる物ではないのかもしれない。僕の部屋の前が小学生の集団登校の待ち合わせになっていて、毎朝賑やかだ。そんな子供達を見て嫉妬すら抱いている。僕が、大人が、もう絶対に二度と過ごせない時間や環境があるからだ。それが果たして幸か不幸か、時代や事件でどうなるかは分からないが、10歳で見る現在と26歳で見る現在は違うんだろうなという事で毎回頭が滲んでいく。
posted by さだおか at 13:25| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

でも、どうだっていいじゃないかって事でもない。

「想像する」という事はどういうことなのか、考えてみた事はあるだろうか。

誰かと向き合った時に、その人がどんな事を想い、考え、自分と居るのか「想像する」。それもあるだろう。

しかし、僕がこの言葉を口にする時は「当たり前のように思っている事を一つずつ、ちゃんと考えてみる」という場合が多い。いや、その意味でしか使わない、と断言しても構わないとすら思っている。

全ての生き物のに、ある条件が存在する以上は設けられている。「死」がそれだ。

「ある」という事は「ない」という状態があるという裏付けや証明になる。つまりは「死」という事が必ずある故に「生き(てい)る」という事が確認出来るのである。もし「死」というものが無ければ、「生き(てい)る」という事はない。そういう事をもっと突き詰めていけばあらゆる事象がパラドックスでこそ、事象として確認出来るという事に到るわけだが、今日は別にそんな事が言いたいわけではないので、ここらで止めておく。

生命体として、まず想像するだろう事は自らの死と産まれた経緯だと思う。そこに科学的根拠や宗教での解釈や理論や論理があると思うが、僕はそれはそれで必要ならば知るべきと思う程度で、あくまで自分の頭と心で想像してみるという事の方が重要であり、分かり易いと思う。

まずは信じている事を全て疑ってみる事から始めるのも良いだろう。それこそ、今目で見えている光景が実際に目の前に広がる世界なのか、脳が再生させている情報なのか、自分以外の何者かの記憶なのか、それ以外の何かなのか、沢山々想像出来るはずだ。その一つ一つを自分なりで良いから「想像」する事が、自分以外の存在に対し、表現をするという事の一端を、いや、大部分を占めている事は間違いないと思っている。

「共感や驚き」こそが、そういった情報を人が求める理由だと思う。

共感するからこそ、笑い、喜び、時に悲しむ。そうする事で安心を得るわけだ。逆に驚きは、人を不安にさせると僕は思う。自分の価値観や経験や想像ではあり得なかった情報がそれを裏切るから驚く。自分にはない感性や情報に驚き、傷付いたり、面白がったりと共感では感じないようなバイブレーションがそこにはあると思う。そしてそのバイブレーションの根底には不安がある。

僕が求めるのは驚きだ。

映画を観たり、小説を読んだり、音楽を聴いて、自分の想像ではない状況に驚きたい。五感を使い、時に第六感のような自分でも知りえない感性で驚きたい。そこで味わう不安やあらゆる感情に肉体も精神も震え上げさせて欲しい。本当に本当にそう思う。

そして自分が表現する立場、板の上に立つ時は共感なんて全く提供しようと思わない。受け手が勝手に抱くのは良い、というか、仕方ない。驚きを如何に与えられるか、それしか考えていない。その為にも
僕は色んな事を想像している。そうでなければ、僕の想像が誰かの想像と同じでは驚きは起きないからだ。

この文章も書き始めた時とは違う方向に進み、今何処かに落ち着こうとしている。それは驚き半分、残念半分だ。そうやっていつも歓びと後悔を抱いて、次の何かを企んでいる。

前衛をしようと前衛をするバカはいない。そんなもの表現でも何でもなく、ただの行為だ。目的と手段とを混同してはいけない。しかし、表現と行為も、目的と手段も、時に大差なく、同じものが違う見え方をしているだけかもしれない。

想像する事によって、諦める事も出てくるだろう、追求すべき事も出てくるだろう。そんな事が昼と夜とで違う日だってあるだろう。そこで惑わされてはいけない。大切なのは「想像する」という事だけなのだ。真理はそれに触れる人の数だけあるはずだ。だから真理は一つではない。一つのように見える物を真理と思うのも勝手だが、思わないのも自由だ。僕自身、時によって色々と変わる。でもそれでも良いじゃないか。それを楽しんだり、面白がったら良いじゃないか。頑な人も柔軟な人も見方によっちゃ一緒なんだよ。

締めの文章が出ずに、もじもじしていたらあらぬ方向に行っている。でもそれも楽しいじゃないか。今日の僕はそんな感じだ。
posted by さだおか at 18:27| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

今月から七月までの演奏予定

毎日酒を呑み、毎日何かしらの文章を読み更け、映画も見つつしている内に、気づけばもう四月も終わろうとしてやがる。来月は諸々の準備や製作に膨大な時間を費やす故に、いや、結果的にそうなったというだけだが、ライブがほぼありませぬ。また7月頃まで決まってるライブ情報です。見て、来て、聴いて下さい。

4月
30日(月)神戸BIG APPLE ahou 19:30〜 ¥2000(予約)¥2300(当日)
     田中ゆうこUta 有本羅人Tuves 井上歩Ba
原作ahou、演出構成が僕ですね。即興をベースにしつつ、各人の味わいが出るような夜になっています。
細かい情報は店のHPを見てくれれば、そのテンションの高さが伝わると思います→http://www.bekkoame.ne.jp/i/big-apple/


5月

8日(火)三宮BASIN STREET ジャムセッション 19:30〜
     高橋俊男Pf 泉正浩Ba ¥1500

13日(日)新開地音楽祭 浅井良将Septet 公園ステージにて、17:20〜 詳細はコチラを→ http://www.shinkaichi.or.jp/ongakusai/main-stage.html

また、CDも勿論販売しています。僕もライブには必ず持参していますので、声をかけて下さい。
Ryosuke Asai Septet「Alchemist」紹介動画→http://www.youtube.com/watch?v=nA8Y8r2Hlq8

15日(火)三宮BASIN STREET ジャムセッション 19:30〜
     高橋俊男Pf 宗川信Ba ¥1500


22日(火)三宮BASIN STREET ジャムセッション 19:30〜
     高橋俊男Pf 泉正浩Ba ¥1500

28日(月)神戸BIG APPLE「ラディカルな関係」19:30〜 ¥1800(予約)¥2000(当日)
      橋本達哉Ds
サブタイトルは「頭山-事実上、妄想犯罪者-」です。そう、落語の演目の「頭山」を題材に何かをやります。その他にも即興や主題のあるもののやる予定です。是非見に来て下さい!

29日(火)元町萬屋宗兵衛「the womb」19:30〜 ¥2500(当日)¥2000(予約)¥1000(学生)
     浅井良将As 横尾昌二郎Tp 大友孝彰Pf 権上康志Ba 松浦美由紀Vo
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この企画の発端は6月にあるコンサートでのブッキングでしたが、折角だからライブをしようと思いました。「ジャズやらせろ」と胸倉掴んでブッキングしました。宜しくお願いします。

6月
2日(土)吹田メイシアター大ホール 15:00開演 14:30開場 Big Band Concertは13:00開演 12:45開場(チケットは共通) 入場料 3,000円  当日3,500円 全席自由席
     浅井良将As 横尾昌二郎Tp 大友孝彰Pf 権上康志Ba 松浦美由紀Vo
僕もチケットを手売りしていますので、興味のある方は直接声をかけていただくか、ここにコメントでも個人的なメールでも何でも待っています。買ってやって下さい。詳細はホールのHPをご覧下さい→ http://www.maytheater.jp/series/1206/0602_jazz.html


4日(月)神戸BIG APPLE  DUO with清野拓巳 19:30〜 ¥2000(当日)¥1800(予約)
二回目の清野さんとのDUOです。前回の感触を元にその月やその季節の感傷を切り取れたら、と思います。

8日(金)天満バンブークラブ asobi ¥19:30〜 ¥1000(2drinks)+投げ銭
    野津昌太郎 田中ゆう子
半年振りのasobiをそれ以上振りのバンブーにてやります!

12日(火)三ノ宮Holly's 20:00〜 ¥未定
     今西佑介Tb 永田有吾Pf 畠山令Ba
詳細はお店のHPをご覧下さい→http://www.kobe-hollys.com/

18日(月)芦屋EJ ジャムセッション 20:00〜 ¥未定
     高橋俊男Pf 泉正浩Ba

19日(火)(火)三宮BASIN STREET ジャムセッション 19:30〜
     高橋俊男Pf 宗川信Ba ¥1500

26日(火)三宮BASIN STREET ジャムセッション 19:30〜
     高橋俊男Pf 宗川信Ba ¥1500

27日(水)神戸BIG APPLE「ラディカルな関係」服部洸太郎Pf 19:30〜

28日(木)春日野道ギャラリー天昇堂 野津昌太郎企画 詳細未定 http://www.kobetenshodo.com/index.htm
この日は朗読とギターです。自作の短編小説「天狗の鼻は二度折れる」をやります。

7月

15日神戸BIG APPLE「ラディカルな関係」影山朋子Viv 19:30〜 ¥1800(当日)¥1500(予約)

16日神戸BIG APPLE 藪下学Gt 19:30〜 ¥1500

27日元町Cafe萬屋宗兵衛「CHANGES SIX」詳細未定
出演はGAKU YABUSHITA GROUP、RYOSUKE ASAI SEPTET、GINGERBREAD BOYS


以上です。

予定帳と睨めっこして、是非会場にお越しください!待っております。

posted by さだおか at 00:25| 兵庫 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | Live | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

桜の木は「桜」の時しか気付かれない。

昨日はUMEDA CLUB QUATTROへeastern youthの「極東最前線/巡業~すべってころんで夜の果てまでも~」を見に行って来た。その後天満BAMBOO CLUBに有本羅人企画「Strange Duo Fruits」にも足を運んで来た。

easternはね、もうね、最高でね。心斎橋のQUATTROが閉める直前のZAZEN BOYSとのライブの時に初めてライブを見まして、その時は終始わけの分からない涙が流れ出ていた。今回は明確な、極めて明確な涙を流したのだった。

登場し、吉野さんの合図でギャーンと全員でぶちかまし、その轟音の中を1234と生声で叫んでカウントする姿に、何かの全てを感じたね。過去、未来、そして今現在の全てが炸裂した瞬間は非常に劇画的だった。後ろからの、やや温かい白い照明が当たって、客席からはシルエットとして映るその姿と、口から飛ぶ唾とが、もう本当に何かの全てだった。すでに最高。約二時間のステージは気を抜く間もなく楽しめ、隙なく格好良かった。

純情や純粋という時に青臭くてとても扱い切れない厄介なものを、40半ばにしても繊細な心の機微や情緒を音楽として語るあの姿には敬服以上に畏れを抱かずにはいられない。「ああなりたい」とか「ああでいたい」とか「いつまでも」とか反射的に湧く想いとは裏腹に、妙に冷静に解釈しようとする自分もいた。そんな事に戸惑いはない。ただ、自分も板の上に立つ側の人間であるという事はいつも頭の中にある。ただそこで唯一忘れてはならない事がある。「そこは安住すべき場所ではない」という事だ。

誰しも今という姿、思想に到るには道程があり、その道程には必ず門、入り口があったはずだ。その受付とでも呼べるような場所で相当な意志の確認と契約がなされたはずだ。そしてそれは毎年と言わず、自らを顧みる度に更新されていると思う。そしてそれは時に意識的に、時に無意識的に行われる。僕は自分のその時機は理解しているつもりだ。つい最近も演奏技術に対して壁にぶつかり、あらゆる手立てをもってそれを克服せんと日夜生活をしている。

少し話が大きくなり過ぎたが、演奏家にとって一番大切なのは練習でも環境でもなく、自らを理解する事だ。哲学的だろうが、宗教的であろうが、そこに例え裏付けや理がなかろうとも、その想いだけでも十分だから、自らを知らないと、全く魅力のない演奏家だと思う。

昨日、羅人が「人とは常に相対的である」と言っていた。なるほどとも思ったが、僕はいまいちそれだけでは何も語れないとも思った。確かに自らを知る術は自分以外の存在を以ってしか手段はない。しかし、一人の人間でさえ非常に複雑で、過ごして来た時間がある。現象としては相対であろうが、人が何かに対峙した時にはそれだけでは言い尽くせないものがある。時に情緒であり、時に文化であったり歴史であったりするだろう。
僕が想うDUOという形態に相対的という概念はない。そこの違いだったのかもしれない。でも面白いとは思った。

easternは即興演奏ではない。しかし、それと同じかそれ以上の儚さと美しさがあの時間にはあった。しかし、後のライブでは即興の要素が十分だったはずなのに、そういった魅力は希薄だった。こういう事を言うのは諸刃の刃ではあるが、友人や共演者という立場を除いたただの観客という立場でなら許されるかとも思う。

楽曲に自らを表現し、それを反復練習し洗練する事によって、そこには独自の物語や力強さといったものが生まれる。即興演奏は方法や結果に色々あるが、それと最低でも同じ位の影響力を持たなくてはならない。
「即興なのに凄く〜」「よく即興でそこまで〜」「即興とは思えない〜」とか無視すべき枕詞であり、そこに甘んじる演奏家も多いだろうが、僕が主体的にやろうとする即興演奏には「自作曲」という意志が明確にあり、その為の方法も模索している。

最も洗練された結果のみが現象と現れるべき即興演奏が、全く拙い理由でしか花開かないのは勿体無い。昨日、打楽器奏者の田中さんと帰り道話した事がそういう事だったように思う。短くも濃密な時間だった。

昨日は楽しかった。好きなバンドも見たし、沢山の友人にも会えた。

帰りに最寄り駅から一駅前で電車を降り、春雨降るなか、カップのいいちこを呑みながら、10日程前には満開だった桜の木が緑の葉を爽やかに晴れやかに茂らせているのを見ながら、短い春の宵の宴を一人で味わっていた。
posted by さだおか at 15:15| 兵庫 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月18日

春が震える

明日はいよいよ「ラディカルな関係」です。今回は甲陽音楽院時代にお世話になった荒崎英一郎さんとです。

神戸BIG APPLE 荒崎英一郎Ts,Fl 定岡弘将Ds
19:30〜 ¥2000(当日)¥1800(予約)
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どんな事をするのかと聞かれてもうまくは答えられないですが、極めて自然な音楽をやります。宜しくどーぞ!

ベイズンストリート終了後に高橋さんによく説得をされる。そう、あれは説教ではなく、説得だ。
フリーをやってるのは拗ねてるわけでも、自棄になったわけでもない。そりゃ本格的にやろうぞ!と決めた時には所謂「普通の」ジャズの演奏回数は冬の海水浴客程度の数になっていっていた。でも今はもう自分の自然な音楽とは何かを考える一つの選択肢であり、特に隔たりはない。但し、スタイルのある共演者(求めていまいが、自ずと必要とされる呼吸やリアクションはあるからね)の場合はあると言わざるをえない。それが自分にとって自然なのかどうなのかは、その都度自問自答する事だと思う。

ジャズは大好きだ。それなしには音楽の真理みたいなものには触れる事はなかったし、夢中にはならなかった。史実としてのジャズや、結果論の雫のようなジャズは糞食らえだが、その人がその時々に自然な音楽を求めた果てのジャズは大好きだ。

そりゃバップがすきだからとかどうとかあると思うが、ようはその人に自然かどうかだと思う。だから高橋さんの言う事は最もだとは思う。でも、それをやってどうにかなりたいという意志も希望もない。それが口から言えない。だって今の自分の活動なんて年収一万円もいかないからね。笑えないね(笑)

人に応えられるのは、それなりの活動と実績を残し、且つ積んでいる人だけだ。その点で僕は非常に息苦しい。間違いないと思う事をやっているつもりだが、一切手応えはない。かといってストレートアヘッドからも全く需要も興味も持たれていない。正直言えば、昨年末は辞めて実家に帰ろうかどうかを相当悩んだりした。今も「ライブをするのは何故なんだ?」という自問自答は続いている。いつも頭の片隅に「辞めた方が良いんじゃないか?」という考えはある。そういうギリギリの精神状態だからこそ演奏に懸けれるものもあると思っている。

高橋さんの説得も分かる。「この店で出会った〇〇や〇〇も頑張って今は売れてるやんけ。お前もなれんねんから頑張れ」と言われたらぐうの音も出ない。そんな事を心配させたり、言わせたりする事が本当に申し訳ない。

音楽の良し悪しは数字で表現されるものではないと思うが、実際に人間社会は数字が判断材料だ。良い音楽だから客を呼べるわけではない(そう信じたいの)が、ある立場からは客が呼べるから良い音楽だという声もある。

様々な情報や思想の間で揺れる。しかし、揺れるからこそと思うから。それが自然だと思うから、そのままでいたい。今は「自然な・・・」が一番良いなと思う。意固地な部分もあるが、そういう感じ。
posted by さだおか at 01:12| 兵庫 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月14日

2万8千円也。

昨日から帰郷している。淡路島の某車屋で働いている小学校からの友人に車のリアウィンドウの修理を頼んだからだ。リアウィンドウを粉砕した朝に早速その旨を伝え、「ガラス片を完全に取り除き、ゴミ袋みたいなものをテープで止めておけ」という指示と「ドアごと代えた方が安いから探しとくわ」という心強いコメントを残し、仕事に向かっていった。そしてその日の昼に早速「広島にあるぜ」とだけメールが入って来た。正直、それにかかる金額は想定していたよりも安かったが、電柱の周りに飛び散ったガラスを見た時に僕の心も砕けていたので、非常に非常に非常に弱気になっていて即決できずにいた。『誰かに話したい。誰かに話してこの緊張した気持ちをトコロテンにして欲しい』という胸騒ぎをどうにか抑える為に母親に電話した。そして母親の「ほんなら代えぇよ」という底抜けに気の抜けた間と声色で吹っ切れた。

こんな時こそ恋人や友人等、心置きなく本音を打ち明けられる人が居て欲しいと願う事はない。しかし、現実問題そんな人はいない。むしろ拒んでいるくらいだ。

人は脆い。しかしその脆さや弱さを打ち明け、心を紛らわせる術も持っている。誰かに話す、その重要さに改めて気づき。それに対する自らの無力さの前に肉親しかいなかった。こんな時に吉木りささんや芹那さんにでも電話して、あのへんてこな声色で励まされたいものだが、残念ながらお二人の連絡先も分からず仕舞いだった。あぁ麗しき変声の女性達よ、どうか連絡先を教えてください!!!そしてたまにあるどんだけ飲んでも酔えない夜にその声を聞かせておくれよ。ららら〜。

そしてついさっき、その友人の勤め先から直った車を引き取ってきた。やさしいなぁアイツは。本当にやさしい。もうね、昔アイツと行った合コンでアイツの妙な浮かれ具合と、「お前なぁ、お前をイチイチいじって活かしてんのは僕なんやぞ!なのになんやその自信あり気な感じは!分かってんのか!」と女性陣の前で怒号を浴びせたのを謝るよ。ごめんよ。そしてまた合コンしようね。つーかどっちが彼女早く出来るか競争だね。ありがとうね。

というわけで明日神戸に戻るのだが、淡路の夜は妙に寂しく味わい深い。きっともう会えなくなったあの時の自分が今もこの島の何処かにはいるのだと思っているのに全く会えないからだろう。

そして毎年この時期には自宅から遠くの山肌にに提灯が灯るのだが、あれは一体何なんだろう?いつか行ってみたいと思っている。いつか行ってみたい場所や建物は他にも沢山ある。少なくとも車を持っている内に近畿圏内で行ければとも思っている。高速道路のPAの早朝の感じ、大好きんなんだよなぁ。トイレの洗面台で歯を磨くのも旅してるぜ〜って気になるし、学食みたいな雰囲気のフードコートも懐かしくって良いよね!って学生時代学食行った事ねぇし!!!野球部とか運動部が大半で文化部一筋の僕は色々邪魔臭いから放課後アイス買いに行った事しかねぇし!!!って逆にだからああいう雰囲気味わいたいのかもしれない。トラウマっつーほどでもなく、青春のヤン毛(後ろ髪)を引かれとるんだろうな。せんちめんたるだぜ。

でもまぁ兎にも角にも車が直って良かった。谷岡、ありがとうな。どうせ見てないだろうけど。

posted by さだおか at 21:19| 兵庫 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする